TATTOO COLUMN



第5話 海辺のバーベキュー

▼前回までのあらすじ------------------------------------
初めて他人の肌に針をさし、タトゥーアーティストになりたいという夢に一歩近づいた梨奈。
その後訪れたフェニックスタトゥーにて梨奈は様々なアドバイスをうけ、更にタトゥーアーティストを志すものとしてのとしての自覚が芽生える。
 
彫師デビューの話のあとは、いよいよ梨奈の背中の鳳凰の施術に入る。
これまでとは違う痛みと、完成した後には一大難関が待ち受けているのだが…
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梨奈は母親より、タトゥーを黙認してもらい、施術を続けた。
「お母さんにばれちゃったんですか? でも、続けることができて、よかったですね。ここまで彫ったのに、中途半端で終わってしまったんでは、私も心残りです。
何といっても梨奈さんの鳳凰は、最近の私にとって、最も思い入れがある作品ですから。このところ、これだけ大きなものを彫らせてくれるお客さんは、あまりいませんからね」
 
「はい。私も中途半端な絵を一生背負い続けるのはいやだから、この鳳凰だけは完成させたい、と頼んだら、諦めて許してくれました。
もちろん、鳳凰が完成したら、最初の予定どおり、牡丹や蝶をたくさんちりばめるつもりです」
施術を続けられることを聞いて、ジュンは安堵した。
 
不況になり、最近仕事が減っているので、少しでも多くの作品を手がけていきたい、ということもあった。
 
しかし、お金の問題より、施術を継続できることが嬉しかった。
 
仮に梨奈が失業して代金を払えなくなったということになれば、無報酬でもいいから梨奈の鳳凰を完成させたい、というだけの思い入れがジュンにはあった。
 
以前は当たり前だった正規雇用、終身雇用、定期昇給の制度が、今はほとんど崩壊し、労働者は契約社員、派遣社員、期限付き採用など、非常に不安定な立場にある。
賃金は低く抑えられ、いつリストラなどで解雇されるかわからないという厳しい状況だ。
 
かつて企業戦士として、会社に十分奉仕してきた梨奈の父親でさえ、今はリストラされないだけでもありがたい、といった状態だった。
 
タトゥーは小さなワンポイントでも、10,000円、20,000円という費用がかかる。
ちょっと大きなものを入れようとすれば、100,000円以上が必要になる。
 
さらにタトゥーが見つかれば、会社側から厳しく注意され、採用前なら確実に落とされる。
そんな中で、生活するために必要がない、むしろマイナスになることが多いタトゥーを入れようとする人がぐっと減ってしまったのは、やむを得ないことだ。
 
タトゥーを入れたくても、収入が安定するまでは我慢せざるを得ない。
バイクギャングロッカーズのメンバーが梨奈にタトゥーを入れてもらったのも、経費の問題と無縁ではなかった。
もちろん梨奈のタトゥーの技量を一定評価していたし、新たに仲間となった梨奈に、ぜひ彫ってもらいたいという気持ちも強かった。
フェニックスタトゥースタジオの場合は、名声が高く、ある程度の依頼が来る。
平日の昼間は空き時間が多いとはいうものの、土日などは、何週間も待たされることがある。
それで経営は何とか成り立っている。
しかしマンション彫り師といわれるような、小さなスタジオなどでは、タトゥーだけでは生活できず、副業を持たざるを得ない彫り師も多い。
それどころか、タトゥーを施術するのは日曜日だけで、平日は他の仕事に従事している、という逆転の生活を強いられている彫り師もいる。
そんな話を聞くと、梨奈はやはり今のピオニーでの仕事を大事にしなければならないと思った。
 
アートメイクだってやりがいがある仕事だ。
背中の鳳凰のタトゥーは店長に知られているが、梨奈の才能を評価し、客の目に触れない場所なら、タトゥーを容認してくれる。
だから白衣からはみ出る、肘から先には入れないようにしなければならない。
胸元も少し襟がはだければ、見えてしまう可能性があるので、当分の間は前には入れないつもりだ。
 
七海たちも母親にタトゥーが見つかってしまったことを心配した。けれども容認してくれたことを聞き、安心した。
梨奈が他人に彫っていることは、まだ母親に内緒にしていた。
職場でも梨奈のタトゥーが認められていることを知り、バイクギャングのメンバーたちはうらやんだ。
クラブに勤めている沙織以外は、職場ではタトゥーを見せないようにしている。
沙織は職場で髪をアップにしているから、耳の後ろのタトゥーも見える。
沙織は職場でタトゥーを容認されていた。沙織のタトゥーを見たくて来店する客もいる。
手首にトライバルを巻いたヤスは、いつもリストバンドでタトゥーを隠している。
ロックをやっているので、職場の上司にはタトゥーのことを黙認してもらっているとはいえ、外部の人に見られないようにしろと注意されている。
 
バイクギャングロッカーズの紹介で、他のバンド仲間たちが梨奈にタトゥーを依頼した。
梨奈は一回3,000円という低料金で引き受けていた。
針などの消耗品代の経費を差し引くと赤字になることもあった。
多くの人に彫るようになり、より衛生面に配慮するために、梨奈は密封された滅菌済みの針を購入していた。それは今まで使っていた針より高価だった。
また、使い捨ての合成樹脂製のチューブを使用した。
それでも梨奈はタトゥーを彫れることが嬉しかった。タトゥーで稼ごうということは、今のところ考えていなかった。
最近の不景気で、タトゥーを彫りたくても彫れないという人たちが、梨奈にタトゥーを入れてもらい、喜んでくれる。
梨奈はそれで十分だった。
 
梨奈は生理で体調が思わしくないときを除き、週一回から、多いときは二回のペースで施術を進めていったので、背中の鳳凰はどんどん進んでいった。
梨奈の肌は彫りやすく、我慢強い梨奈は休憩もあまり要求しないので、作業もはかどった。
鳳凰は完成し、鳳凰の周りを牡丹や蝶で飾ることになった。
背中や太股の牡丹の何輪かは、黒いラインを使わず、ふわっと浮き出るように彫ったものであり、幻想的で見事な出来映えだった。
 
ときどき母親は梨奈の背中がどこまで進んだかを見たがった。もう消すことができないとわかると、梨奈のタトゥーを許容するだけではなく、積極的に認めるようになった。
最初は鳳凰だけでやめておきなさい、と言っていたのが、牡丹や蝶を足すことに同意した。
母親も確かにタトゥーは美しいものだと思った。
中途半端のままで終わらせては、かえってみっともない。
父親にはできるだけタトゥーが見つからないように気をつけなさい、と母は梨奈に注意した。
 
フェニックスタトゥースタジオでは、タトゥーのほか、ボディーピアスも扱っている。
梨奈は鳳凰が完成してから、小鼻(ノストリル)の右側、左乳首(ニップル)とへそ(ネーブル)にピアスをしてもらった。
ジュンと同じ場所だ。
ピアッサーはジュンではなく、コージが担当した。
ノストリルへのピアスは、ジュンのようなリングではなく、赤い飾りがついた、スクリュータイプのものにした。
ジュンと同じリングにしたかったが、目立ちすぎるので、母親に叱られそうだ。
ピオニーでも鼻にリングではあまり好感を持たれないだろう。
耳たぶにはすでにピアスを着けている。
性器に穴を開けるのは、痛そうなので躊躇したが、いつかはチャレンジしてみようと思った。
ジュンはクリトリスに着けているそうだ。
 
夏期休暇を利用して、バイクギャングの仲間たちで、海でバーベキューをやろう、という計画が持ち上がった。
メンバーはバイクギャングロッカーズ四人と、そのガールフレンドたち、そして梨奈だった。
梨奈だけ彼氏がいないのが少し気になったが、政夫が
 
「梨奈は俺たち全員のアイドルだよ」
と説得した。
 
場所は田原市の赤羽海岸だ。
遠州灘に面しており、波が高く、サーファーが多いが、遊泳は禁止されている。
バーベキューには海水浴客が少ない方がいい。
食材は途中で、安い業務用のスーパーで買っていくことにした。
少量のパッケージは置いてないが、九人分まとめて買えばかなり安くなる。
 
八月中旬、全員が盆休みなどで休暇が取れた日に、バイクギャングロッカーズの仲間九人は、赤羽海岸を目指した。
練習場にしている音楽スタジオの近くの喫茶店に集合し、朝九時に出発した。
その日は晴天で、朝から暑かった。
政夫のデミオには七海、梨奈、淑乃が乗り、達義のシルバーのフリードに、他のメンバー五人が乗った。
達義のフリードは七人乗りだ。達義は愛車に「フリーザ号」と名付けていた。
七海はコンタクトレンズを使わず、度付きのグレイのサングラスをかけていた。
UVカットの効果があるそうだ。
海岸は紫外線が強い。
 
途中、業務用スーパーで食材を買い込み、名古屋インターチェンジから東名高速道路に入った。
盆休みのためか、東名高速道路は豊田より先が渋滞していた。豊川で下りる予定を変更し、岡崎で出た。
そして国道1号線などの一般道を走った。
そのため、到着が予定より大幅に遅れた。
豊田・三ヶ日間渋滞30㎞という電光掲示板を見て、みんなうんざりしていた。
 
赤羽海岸に着いたのは、午後一時ごろだった。
駐車場にクルマを置いて、みんなでコンロや机、椅子、食材などを砂浜まで運んだ。
海辺に着くと、政夫と康志はミラーサングラスをかけた。
赤羽海岸は渥美半島の中ほどで、遠州灘を臨む海岸の眺めは雄大だった。
伊勢湾、三河湾の内湾に比べ、波が高い。
南の海上に発生した台風の影響もあるようだ。
もし泳いだりして、波にさらわれでもしたら大変なことになる。
今日は海水浴を楽しむのではなく、バーベキューを味わうことに徹しよう。
 
梨奈たちはさっそくビーチパラソルや折りたたみ式のテーブル、椅子をいくつか組み立てた。
暑いので、みんな薄着だ。メンバー全員がタトゥーを入れている。女性たちも、タトゥーを露出していた。
淑乃はノースリーブと短パンなので、ジュンの作品である左肩の蓮、太股の人魚と、梨奈に彫ってもらった右腕のバラが見える状態だ。
直美は腰の蝶以外に、梨奈に左の太股に、大きく赤と青の菊と蝶を彫ってもらった。
最近、梨奈がかなり経験を積んでから彫ったもので、出来栄えはよかった。
プロの作品といっても十分通用するものだ。
沙織はふだんから手首や耳の後ろのタトゥーを隠していない。
今日は梨奈に彫ってもらった、胸の四つ葉のクローバーも見せていた。
腰にも梨奈の作品である、アメリカントラディショナルふうの、赤と青の色違いのツバメが二羽と黄色のバラが、シンメトリーな構図で入っている。
 
沙織はタトゥーのみならず、ピオニーでアイラインや眉のアートメイクも、梨奈に施術してもらった。店に出勤する前のメイクが、ぐっと短時間ですむと喜んでいる。
七海は左足首のサクランボの他に、腰にオレンジ色のバラと青い蝶を入れた。家族にはまだ内緒にしているという。
七海はもう少し増やしたいというが、梨奈が
「私みたいにエスカレートするといけないから、これ以上入れるのはやめておきなさい」
と止めていた。
 
男性たちは上半身裸なので、タトゥーが目立っていた。政夫と康志はさらに梨奈に彫ってもらった。
政夫は右肩の後ろに紫の牡丹。
 
「マサに任せると、キモいものばかりになるから」
と、七海が選んだ図柄だった。
康志は肩に龍だ。黒の濃淡だけで、和風に仕上げてある。この龍の出来栄えにはジュンも感心した。
 
しかしやはり梨奈のタトゥーが最も目を引いた。
上半身はティーシャツを着ているので、背中の鳳凰は見えないものの、太股から足の甲にかけてのタトゥーは露出していた。
太股にも牡丹や蝶がいくつも入っている。
太股だけでも、群を抜く存在感だ。
膝から下は、自分が練習で彫ったタトゥーで、ほぼ埋め尽くされている。
四ヶ月間、週に一回から二回、ピオニーが休みの日にジュンのもとに通い、完成した。
まだ完成して間もなく、日焼けはよくないので、ティーシャツを羽織っている。
太股には日焼け止め乳液をたっぷり塗ってある。
 
「おお、やっぱり梨奈のタトゥーが一番すげぇがや。また背中の鳳凰も見せてくれよな」
 
政夫が感心した。それに続いて、他のメンバーも梨奈のタトゥーを賛嘆した。
まずは缶ビールで乾杯した。氷で冷やしてあるので、ビールがおいしかった。
 
「行きはけっこう渋滞しとったから、帰りは早めに帰ろうぜ。だから運転手はあんまり飲むなよ」
 
富夫が早めに帰ろうと提案した。運転する達義と政夫は、三時間もあれば酔いは醒めるから、少しぐらい飲んでも大丈夫だと主張した。
けれども乾杯だけにしておけとみんなに押し切られた。
 
「私、ちょっとしか飲まないから、帰り運転してもいいよ」
 
と七海が主張した。
 
「いいよ。俺、これ以上飲まないようにするからよ。大事なクルマ、七海にぶっつけられてはたまらんでな」
 
政夫にそう言われ、七海は
 
「どうせ私、運転下手ですよ。イーだ」
 
とむくれたふりをした。
乾杯のあと、バーベキュー用のコンロを組み立て、さっそくバーベキューの支度にかかった。
炭を使うため、火勢が強まるまで、少し時間がかかる。
女性が五人いるが、鍋奉行ならぬバーベキューの網奉行(?)は富夫が務めた。
メンバーの中では最も体格がよい富夫だが、こういうとき、こまめに動く。
 
「ああ、腹減った。さあ、食うぞ」
 
沙織が女性らしからぬ言い方で、最初に焼けた肉をつまんだ。
それを合図に、みんなが網の上の肉や野菜に箸を伸ばした。
渋滞で到着が遅くなったので、みんな空腹だった。
バーベキューのコンロを囲んで、食事を楽しんでいると、海から上がってきた三人のサーファーたちが、
 
「すごいタトゥーですね」
 
と声をかけてきた。
 
「あれ、あんたたち、ひょっとしてバイクギャングの人たちでは?」
 
サーファーの一人が言った。
 
「え、俺たちのこと、知ってるの?」
 
リーダーの達義が感激した。
 
「去年の大名古屋タトゥー大会でライブを聴いて、俺たち、ファンになったんですよ。ネットでCD買いましたよ。バイクギャングのホームページも見ています」
 
バイクギャングロッカーズのホームページは、パソコンに堪能な富夫が作成している。
 
「それはありがとうございます。ファンは大切にしなくっちゃあ。俺たちみたいな大して名もないアマチュアバンドを知っていてくれるとは、光栄ですね。よかったら一緒にどうですか? 食材はたっぷりあるから、遠慮しなくていいですよ」
 
達義は三人を誘った。
 
「俺たち、食うものは持ってきていますから。でもせっかくだから、少しだけ呼ばれていきます」
 
直美が紙皿と割り箸をサーファーたちに渡した。三人は自己紹介をした。サーファーたちはみんなのタトゥーに感心した。特に梨奈の太股の牡丹には目を見張った。
 
「実は彼女、タトゥーアーティストなんですよ。まだ修業中で、正式なプロではないけど、けっこういい腕で、みんな彼女に彫ってもらっていますよ」
 
達義は梨奈のことをタトゥーアーティストと紹介した。
 
「へえ、こんなかわいい子がタトゥーアーティストなんですか。それですごいタトゥーをしてるんですね」
 
石原と名乗ったサーファーが驚嘆して言った。
 
「梨奈です。タトゥーアーティストといっても、まだ修業中ですが」
 
と梨奈は名乗った。
 
「アーティスト名はリナさんですか。かわいい名前ですね」
 
それからしばらく三人のサーファーたちは、バーベキューをつまみながら歓談した。別れ際に、達義と石原はスマホで電話番号とメールアドレスを交換した。
 
「こんなとこまで来て、俺たちのこと知っとるやつらに会うとは、感激だぜ」
 
「何か、いっぱしのロックンローラーになったみたいな気分だな」
サーファーたちと別れたあと、みんなは感激して語り合った。
 
「でも、タトゥーアーティスト梨奈もいいけど、何かアーティスト名つけたらどうだ? さっきみたいに名前聞かれたとき、本名よりアーティスト名で答えたほうがかっこいいからな」
政夫が提案した。
 
「そうよね。梨奈、何か名前考えたら?」
 
七海も政夫の意見に賛成した。
 
「彫梨奈。りが重なって言いにくいから、一つとって、彫奈はどうだ?」
 
 康志が言った。
 
「彫奈か。いまいちかな。それに梨奈は“彫”がつかない名前のほうがいいんじゃないかな? 彫り物というより、やっぱりタトゥーのイメージだから」
 
政夫が反論した。それで、みんなでいろいろな名前を考案した。
リコ。リン。リス。リリー。リナックス。バンビ。スズメ。ヒバリ。スパロウ。ピグモン。レッドキング……。
スズメというのは、梨奈の小学生のころの愛称で、七海が提案した。ピグモンからの連想で、レッドキングと言われたとき、
 
「なんで私がレッドキングなんですか? ピグモンならまだかわいいけど」
と梨奈は提案した康志にかみついた。
その他、多くの名前が出されたが、あまりしっくりするものがなかった。
 
「おい、梨奈、おまえ、何かいい名前を思いつかないか?」
 
政夫が梨奈本人に尋ねた。
 
「そうですね。私が初めて彫ってもらったタトゥーが牡丹だし、勤めているアートメイクサロンの名前もピオニーなので、“牡丹”はどうかな、なんて思いますが」
 
「タトゥーアーティスト牡丹か。なかなかかっこいいじゃん。俺はいいと思うな」
 
達義が賛成した。続いて、一同が拍手を送った。
 
「決まったね。これで今日から梨奈はタトゥーアーティスト牡丹だ」
 
リーダーの達義が命名した。
 
「よう、牡丹、かっこいいぞ」
 
「私たちも牡丹ちゃんを応援するよ」
 
みんなが梨奈に声援を送った。
 
「せっかくだから梨奈、いや、牡丹。背中の鳳凰、お披露目してくれよ。もう完成したんだろ?」
 
政夫がリクエストした。他のメンバー全員も「見たい、見たい」と続いた。それだけ大勢から見せろと言われ、梨奈も逆らえなかった。梨奈はティーシャツを脱いで、背中をみんなのほうに向けた。
梨奈の背中で、鳳凰が天に向かって飛翔していた。周りには色とりどりの牡丹の花を散らしてある。極彩色で華麗な、美しい図柄だった。
 
「こりゃすげえや。さすがジュンだ。こんなきれいな鳳凰、見たことないがや」
 
「ほんと。きれい。私も背中に大きな絵を彫ってみたくなっちゃった。背中はジュンさんにお願いしようかな」
 
康志と沙織が梨奈の鳳凰や牡丹の見事さに感動の言葉を発した。
 
「あれ? 梨奈、へそピもしてたの?」
 
七海がネーブルのピアスを見て尋ねた。
 
「うん。タトゥーが完成したんで、次はボディーピアスに挑戦したの。ニップルもやってもらったよ」
 
梨奈はバストを隠していた腕をどけて、左乳首のピアスをちらっと見せた。
 
「ひょっとしたら、あそこにもしてるんか?」
 
政夫が梨奈の股間を指さした。
 
「そこはまだ。でもそのうちやるかもしれない」
 
「やったら見せてくれよな」
 
「だめ。そこは未来の旦那様にしか見せません」
 
梨奈は顔を赤らめて応えた。
富夫がデジタル一眼レフカメラで梨奈のタトゥーの写真を撮った。
 
「せっかくだから、みんな脱いじゃってよ。海をバックにして写したいから。ぜひとも今度出すCDのジャケットに使いたいな」
 
富夫は梨奈に要望した。
 
「私の裸の写真をジャケットに使うんですか? そんなの、恥ずかしいです」
 
「単なるヌードじゃなく、美しいタトゥーだからね。これは究極の芸術だよ。人体をキャンバスにした。ぜひ頼むよ。その美しいタトゥーを世に出すのは、君の義務でもあり、僕らの責務でもある」
 
結局梨奈は富夫のリクエストに押され、モデルとなることを了承した。自分の美しいタトゥーを入れた姿を写してもらいたい、という気持ちもあった。真夏の海岸で、写真撮影が始まった。
富夫はアマチュアカメラマンとしても、まずまずの腕前を持っていた。富夫はキヤノンのEOS40Dに、EF50mmF1.8の単焦点レンズを着けて撮影した。
40Dに装着すると、中望遠になり、ポートレートには手頃な焦点距離だ。もっといいレンズを欲しいと思っても、派遣社員の身分では、あまり贅沢できなかった。
梨奈は波打ち際で、富夫に指示されるまま、全裸でいろいろなポーズをとった。
バイクギャングロッカーズの仲間以外にも、サーファーなど、砂浜にいた人たちが梨奈の周りに集まってきた。
海水浴場ではないので、それほど多くの人がいたわけではないが、梨奈たちの周りに人垣ができた。
集まった人たちは梨奈の華麗なタトゥーに目を奪われた。彼らも梨奈にカメラを向けた。
 
「いれずみというと、やくざとか不良というイメージがあったけど、こんなにきれいなものなら、芸術として認めてもいいかもしれないね」
 
「ここにいるほかの女の子たちも、けっこうきれいな絵を入れてるわ。こんなにきれいなら、私もお肌のアクセサリーとして、やってみたいな」
 
梨奈たちを取り巻いている人たちも、タトゥーに対し、少し認識を改めたようだ。
人がたくさん集まってきたので、撮影はほどほどで切り上げた。
もし警察がやってきたら、やっかいなことになる。
芸術のための写真撮影といっても、公然猥褻罪で引っ張られるかもしれない。
梨奈は衣服を着た。
しかしこのとき写真を写した野次馬たちは、ネットで梨奈のタトゥーの写真を配信してしまうことになる。
早い人はスマホで写した写真や動画を、さっそくアップしていた。
ようやく騒ぎが収まり、梨奈たちはバーベキューコンロを囲んで、残った肉や野菜を突っついた。
 
「ああ、恥ずかしかった。あんなにたくさんの人たちに囲まれるなんて」
 
「ごめんごめん。浜辺にいた人たちがあんなに集まってくるとは、思ってもみなかった。ちょっと軽はずみだったかな。でも、いい写真が撮れたぜ。ぜひ次のCDに使わせてくれよな」
 
富夫は梨奈に謝りながらも、いい写真を撮れたことを喜んだ。
 
もうそろそろ片付けに入ろうかというころだった。バーベキューを始めて、二時間以上になる。
食材や飲み物はまだけっこう残っている。女性が過半数なので、思ったほど食べていない。
 
富夫が
 
「もったいないからみんなで食っちまおうよ。そろそろ片付けたいし」
 
と声をかけた。時刻も午後三時半だ。
何台かのオートバイの音が近づいてきた。マフラー音やクラクションをうるさく鳴らしている。
 
「やつら、ゾクかな。やばそうなやつらが来たぜ」
 
富夫が心配そうに言った。
 
「相手にならなきゃ、大丈夫さ。やつらだって、そうむやみに問題起こしたりはしないよ」
 
康志は楽観していた。しかし康志の期待は裏切られた。数台のオートバイが、砂浜を横切って、梨奈たちの近くにやってきた。
 
「よう、いれずみねーちゃんが裸になってるって、あんたのことか?」
 
暴走族の一人、凶暴そうな男が梨奈を指して言った。
 
「何だ、てめえら」
 
メンバーの中で最もけんかっ早い康志がその男を睨んだ。
 
「ちょうどこの近くを走っていたら、ネットに赤羽海岸で、いれずみねーちゃんがヌードショーをやってるってあったから、さっそく見に来てやったんじゃねかえ」
 
男は凶悪な素性を隠そうともせず、梨奈の前に歩み出た。梨奈は後ずさりして、政夫の後ろに隠れた。
 
「よせよ。もう撮影会は終わったんだ。君たちも帰ってくれ」
 
達義が暴走族と思われる男たちの前に立ちはだかった。
富夫は自分が依頼した撮影のせいで、大変なことになってしまったと思った。
さっきスマホか何かで写した写真を、誰かがさっそくネットに流してしまったのだ。
情報化社会の今は、このようなことが起こりえることを、もっと考慮するべきだった。
富夫は自分の軽率な行動を悔やんだ。
 
「もう終わりかい? それじゃあつまらんから、もう一回脱いでみてくれよ」
 
「ボクちゃんたち、タトゥーのお姉さんと気持ちいいことやりたいんだわさー」
 
男たちが梨奈に襲いかかろうとした。
 
「やめろよ」
 
と政夫が男の一人の右腕をつかんで、止めに入った。そこで政夫とその男のもみ合いになった。
 
「野郎、やる気か? 上等じゃねえか」
 
他のメンバーもバイクギャングの三人に躍りかかった。
空手有段者の康志を筆頭に、達義、政夫はけっこう腕っ節には自信がある。
それでもバイクギャングと物騒なバンド名を名乗っていても、けんかなどのトラブルは極力避けてきた。
しかし、今回は話し合いが通用する相手ではなさそうだ。やつらのお目当ては女性たちだ。
彼女たちは絶対守らなければならない。
ナイトが揃っているのに、暴漢たちに恋人を蹂躙されては、男が廃るというものだ。
暴力が嫌いな富夫も、今回の原因は自分の不注意にあると思い、奮闘した。
身体が大きな富夫は、多少柔道や相撲の経験があり、戦力にはなった。
 
とはいえ相手は倍の人数だ。形勢は圧倒的に不利だった。浜辺にいる人たちは、掛かり合いになるのを恐れ、遠巻きに眺めているだけだった。
 
「お願い、やめて。私のタトゥーを見たいなら、見せてあげるから」
 
梨奈はティーシャツを脱いで上半身裸になり、暴漢たちの前に出た。
 
「よせ、梨奈。やつらはおまえのタトゥーを見るだけで満足するはずがない。目的は梨奈そのものだ。みすみすあいつらの餌食になることはない」
 
政夫が梨奈の前に飛び出して、梨奈をかばった。
暴漢の一人が、太股に菊と蝶を入れている直美を狙った。
直美は自分めがけて突進してくる男に驚き、海の方に逃げていった。満ち潮で、波打ち際がぐっと迫ってきていた。
暴走族の一人と渡り合っていた康志は、恋人が男に追いかけられているのを見て、相手に蹴りを一撃食らわして、直美の方に向かった。
しかし別の男に組み伏せられた。直美は男に追いつかれそうになり、とっさに海に逃げ込んだ。
直美は腰の辺りの深さのところで、バランスを崩し、転倒した。そこに高い波が押し寄せた。
 
直美は浮かんでこなかった。
 
「直美!!」
 
と康志は叫んだ。梨奈と七海は直美が消えた方角に走っていった。淑乃も後を追った。
 
沙織は
 
「どうしよう、どうしよう」
 
と思い悩むばかりで、動くことができなかった。
 
「直美さん、どこなの?」
 
梨奈は直美が波にさらわれた辺りの海に入っていった。しかし、台風の影響で波が高く、うかつなことをすれば、二重遭難になりかねなかった。
 
「気をつけて。梨奈まで波にさらわれたら、大変だから」
 
「わかってる。七海も注意して」
 
七海はあまり泳ぎが得意ではないので、膝程度の深さまでしか海に入らなかった。それでも大きな波が押し寄せてきて、足元をすくわれそうになる。
 
「おい、ちょっと待て。直美が波にさらわれた。頼むから、ちょっと待ってくれ」
 
康志は自分に馬乗りになり、殴りかかっている相手に懇願した。
 
「そんなこと、俺の知ったことじゃねえよ」
 
相手は敵意をむき出しにして、殴り続けた。達義、政夫、富夫もそれぞれ他の男たちと応戦し、直美を助けに行くことができなかった。
 
「おい、頼む。仲間がおぼれたんだ。一時休戦にしてくれ」
 
達義と政夫は暴走族たちに頭を下げて頼んだ。
そのときだった。今まで戦いには参加せず、成り行きを見守っていた男が、
 
「おい、おまえら、やめないか! 非常事態だ」
 
と大声で叫んだ。そして、服を脱ぎ捨て、海の方に全力で駆けだしていった。
その男の一声で、今までバイクギャングのメンバーを殴りつけていた男たちが、攻撃をやめた。
自由になった康志、達義、政夫も海に向かって走り出した。
富夫は泳ぎが苦手で、波が高い海に入ることができなかった。
その光景を見て、今まで遠巻きで状況を窺っていたサーファーたちも、直美の救出のために海に飛び込んだ。
 
「おい、いたぞ」
 
率先して飛び込んだ暴走族の一人が、直美を抱きかかえて、岸に上がってきた。
 
「おい、直美、大丈夫か?」
 
直美を抱きかかえた男のもとに駆けつけ、康志は声をかけた。直美はぐったりしていた。直美を砂浜に寝かせると、サーファーの一人がやってきて、直美の様子を窺った。
 
「大丈夫、水を飲んでいるようですが、呼吸はしています。対応が早かったのが幸いでした」
 
 
サーファーは水が気管に入らないよう、直美の顔を横に向けた。そのサーファーは、おぼれた人の救命法を身につけていた。間もなく直美は目を覚ました。
「おい、直美、よかったな。心配したぞ」
 
康志は直美に抱きついた。
 
「あんたには礼を言うよ。あんたがあそこで止めてくれたから助かったんだ。それから、あんたもありがとう」
 
康志は直美を救った暴走族とサーファーにお礼を言った。梨奈と七海も直美が無事だったことに安堵した。
 
「いや、こんなことになるとはな。俺たちもちょっとちょっかいをかけるだけのつもりだったのに、メンバーが暴走しちまった。こっちこそ詫びを言うよ。俺たちは東三河を根城としている、疾風韋駄天会の者だ。俺はヘッドの高浜だ」
 
「僕たちも君たちが争っているのに見て見ぬ振りをしていて、済まなかったよ。本当なら、仲裁に入らなきゃいけなかったのに。卑怯者の僕たちを許してくれ」
 
「いや、それはしかたないですよ。あんな激しい戦い、間に入って仲裁なんて、とても無理だろうな。それより、直美が世話になりました。こちらこそありがとう」
 
康志は直美を介抱してくれたサーファーに重ねてお礼を言った。
バイクギャングの仲間たちと疾風韋駄天会のメンバーは、バーベキューコンロの周りに集まり、残った食材をさらった。
多めに食材を仕入れたので、まだけっこう食べ応えがあった。
同じ釜の飯を食った仲だと言って、お互いの親密度が増した。
戦闘に参加していなかったので気づかなかったが、レディースのメンバーも二人いた。
 
「これで俺たちは手打ちだ。おまえら、文句ないな。一つ間違ったら、人が一人死ぬとこだったんだぞ」
 
ヘッドの高浜に命じられ、他のメンバーの中には不満そうな者もいたが、従った。
 
「しかしあんたらも勇敢だな。数では半分しかいないのに、俺たちに向かってくるとは。あんたらには数にハンデがあるで、俺はあえて戦いには加わらなかったがな。ところであんたら、みんなタトゥーを入れてるけど、なんかのグループなのか?」
 
高浜が尋ねた。
 
「ああ、俺たち、バイクギャングロッカーズというバンドやってるんだ。アマチュアだけど、名古屋ではちっとは知られたバンドなんだ。俺がリーダーで、ベースギター担当のタツ」
 
「俺はドラムのマサ」
 
「俺はボーカルのヤスだ。さっきはおまえら、かなりぶん殴ってしまって、わるかったな」
 
「俺もおまえのグラサン、壊しちまってわるかった。高いんだろう?」
 
最初に康志と殴り合い、外れた康志のサングラスを踏みつぶした男が詫びた。
 
「なに、あれは安物だから、気にするな。それより、高浜さんよ。直美のことではありがとな」
 
康志は改めて高浜に、直美を助けてくれたことに、感謝した。
 
「僕はリードのトミーです。よろしく」
 
「そしてこちらの女性も俺たちの仲間だ。さっきはちょっともめ事があったが、お互いきれいさっぱり、水に流そうな」
 
「なるほど。ロックバンドやってるのか。バイクギャングロッカーズというんだな。覚えとくよ」
 
ロックバンドと聞いて、これまでけんかが中途半端に終わってしまったことが不満そうだった連中も、態度を変えた。
 
「さっきはおまえら、ボコボコに殴っちまって、わるかったな。ロックなら、俺たちも大好きだ」
 
こう言って、暴走族のメンバーの一人が握手を求めてきた。康志はがっちり握手した。
さっきまで闘争を繰り広げていた者たちだが、これで丸く収まった。
とはいえ、殴り合っていたので、争いに参加していなかった高浜以外の男たちは、大なり小なり顔などに痣を作っていた。
和解が成立し、ボーカルの康志は、自分たちが作詞作曲した歌を二曲披露した。
他のメンバーも一緒に歌った。
暴走族たちはやんやの喝采を送った。
 
「さっき歌った曲など、まもなく新しいCDを出す予定だ。バイクギャングのホームページから購入できるようにするから、よかったら買ってくれよ」
 
すかさず達義がCDをPRした。
 
「おう、ぜひ買わせてもらうぜ」
 
ロック好きな暴走族の男が約束した。
 
「ところで、この子はすげえタトゥーだな。スマホに赤羽海岸で全身タトゥーの女がいる、なんて写真がアップされとったんで、おもしろそうだから来てみたんだが」
 
高浜が梨奈に向かって言った。
 
「ああ、彼女はタトゥーアーティストの牡丹だ。今にすごいアーティストになるからな。俺たちの期待の星だ」
 
達義に期待の星と紹介され、梨奈はちょっと気恥ずかしい思いをした。
 
「タトゥーアーティストの牡丹か。なかなかかわいい子だな。そのうちに俺にも何か彫ってくれよな。バイクギャングと牡丹のこと、仲間のみんなにも応援してくれるよう、伝えておくよ」
 
バイクギャングと疾風韋駄天会のメンバーたちは、これからもよろしく、また会おうな、と誓い合った。
 
疾風韋駄天会と別れてすぐ、バーベキューの後片付けをして、帰宅の途についた。
暴走族たちに絡まれるというハプニングもあり、引き上げるのが予定より遅くなってしまった。
東名高速道路はかなり渋滞しているという情報を聞いたので、帰りは国道23号線などを使った。
しかし23号線もけっこう混雑していた。
 
「まあ、東名の渋滞30キロよりはましかもしれん。盆だから渋滞することも考えておくべきだったな」
 
政夫が運転しながら梨奈たちに言った。帰りも行きと同じメンバーが乗っている。
途中から国道248号線に入った。248号線は四車線区間が多く、走りやすかった。
岡崎市内のファミレスに入り、夕飯を食べた。
 
「今日はいろんなことがあったな。ゾクとやり合うなんて、初めてだったよ」
 
オーダーが終わってから、達義が口火を切った。
 
「今日は私のために戦ってくれて、ありがとうございました」
 
梨奈が改めてバイクギャングのメンバー全員にお礼を言った。
 
「私もおぼれてるところを助けてくれて、ありがとう」
 
「直美を助けたのは、高浜というやつだよ。あいつはけっこういいやつだったな。ほかのやつらはカスみたいな連中だったけど」
 
「まあ、そう言ったるなよ、ヤス。せっかく手打ちして、俺たちのことも応援してくれると言ってくれたんだでな」
 
リーダーの達義が康志をたしなめた。
 
「でも、今回の原因は僕だからね。僕が不注意に、あんなに人がいるところで、牡丹のヌードを写したんでいけなかった。さっきスマホ見てみたけど、もういくつか牡丹の写真、アップされちゃってるから。ツイッターにも投稿があったし。今はネットでどんどん情報が流れちゃうから、怖いよ。牡丹、ほんとにごめんな。これからは気をつけるよ」
 
富夫は平謝りだった。そんな富夫を責めることは、梨奈にはできなかった。
みんなは梨奈のことを、「梨奈」と呼んだり、新しく決まったアーティスト名で、「牡丹」と呼んだりした。
今日一日で多くのことを体験した。ジュンに完成した鳳凰の記録としての写真を、いろいろな角度から撮られたことは別として、初めてヌード写真を撮ってもらった。
暴走族とのけんかに巻き込まれたことも初めての経験だ。自分の写真もネットでばらまかれてしまった。そして、“牡丹”というタトゥーアーティストとしての名前をつけてもらった。梨奈にとって、忘れられない一日となった。

牡丹BN2

第4話 背を舞う鳳凰    2013年03月29日(金)10時00分
第3話 彫師デビュー    2013年03月14日(金)10時00分
第2話 チャレンジ     2013年03月05日(金)10時00分
第1話 タトゥーとの出会い 2013年03月01日(金)10時00分   

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Posted at 2013年04月05日 19時03分