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刺青師牡丹-第4話 背を舞う鳳凰



第4話 背を舞う鳳凰


▼前回までのあらすじ------------------------------------
親友の七海から誘われたタトゥーイベントに仕方なく付いて行っただけのはずの梨奈は、タトゥーに惹かれていく自分に気付く。七海の制止にも耳を貸さず、半ば衝動的に梨奈は臀部に牡丹のタトゥーを彫ってもらうことに。
職場のアートメイクサロンでの施術練習を通して、その共通点も相まって、梨奈のタトゥーへの傾倒はさらに深まる。そしてタトゥー用品を取り寄せて、自分の脚に針を刺すまでに・・・・。年を超えると梨奈の体には、多くの自分で彫ったタトゥーがあった。そして七海にタトゥーアーティストになりたいという夢を語るのだった。
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初めて他人の肌に彫った二日後、今度は自分の背中に施術してもらうため、梨奈はフェニックスタトゥーを訪れた。完成したフラッシュは事前に見せてもらっていた。そのとき、薄ぼかしのやり方を教えてもらったのだった。

鳳凰は青や紫、緑の寒色系の色を多用してあった。鳳凰の周りにちりばめた牡丹は赤や黄色が主体だ。梨奈はその華麗な鳳凰に、大いに満足した。

スタジオでジュンに挨拶すると、梨奈は最初に、一昨日初めて他人の肌にタトゥーを彫ったことを話した。そしてデジタルカメラで写した写真を見せた。

「まだ未完成で、次回は部分的にぼかしをもっと濃くする予定です」

梨奈は写真の説明をした。ジュンは拡大してプリントされた写真を見た。

「ラインはきれいに引けているけど、薄ぼかしがまだまだですね。私が練習で彫っていたころもこんなものでした。でも、ラインがきれいなのはいいですね。ぼかしの部分はまだ修正がきくけど、ラインは簡単には直せないから。なんといっても、タトゥーはラインが基本だと私は思っています。次に彫るとき、ぼかしをもう少し丁寧にしなさい。この程度のむらなら、きれいに修正できますよ」

ジュンは次回、ぼかしを濃くして、グラデーションをつけるときのポイントを細かく助言した。

「ところで、彫る前に同意書を取っておきましたか?」

ジュンは同意書のことを尋ねた。

「いいえ、友達なので、取りませんでした」

「いくら知り合いでも、取っておいたほうがいいですよ。それと、年齢確認は免許証やパスポートなど、写真がある証明書で必ずすること。何が起こるかわかりませんからね。まあ、バイクギャングのメンバーなら、うちで彫った人もいるから、私もよく知ってます。変な言いがかりをつけるような人はいないけど、今後のことがあるから、必ず同意書を取るようにしてください。あとでうちで使っているものを一枚あげるから、それを参考に自分なりのものを作っておきなさい」

ジュンは同意書のことでも的確なアドバイスをしてくれた。バイクギャングのメンバーのうち政夫とトミーという人が、コージに彫ってもらったそうだ。ジュンもバイクギャングの紹介で、女性にタトゥーを入れている。

一昨日の彫り師デビューの話が終わったら、いよいよ背中への施術だ。梨奈はジュンのブースで衣服を脱いだ。暖房が入っているので、裸になっても寒くはない。ブースは他の客から見られないように、パーティションとカーテンで仕切ってある。

ジュンは梨奈の背中から臀部にかけて、グリーンソープをスプレーした。石けんをよく拭ってから、二枚の転写用シートを梨奈の背中に当てた。B4判の和文タイプ用紙に描かれた下絵の、余白の部分をカットしたものだ。 

ジュンは転写シートを梨奈の背中に当て、慎重に位置を決めた。上のシートの位置を決めたら、絆創膏でずれないように固定した。次は下のシートだ。お尻の部分は起伏があるので、特に気を配った。二枚貼ると、首のすぐ下から臀部までかかる大きさになる。

「これならばっちりね」

ジュンは得心した。そして使い捨てのウエットタオルをそっと転写シートに当てた。ジュンは注意深くウエットタオルを移動させ、シートを肌に密着させた。極力シートが歪んだり、浮いたりしないように気をつけながら、梨奈の背中に貼り付けた。

しばらくシートを背中に貼り付けたままにしてから、ジュンは慎重にはがした。絵はきれいに転写されていた。

「うん。うまくできてる。成功成功」

絵が完全に乾いてから、ジュンは肌用のマーカーペンで、上下二枚のシートの合わせ目の、わずかにずれた部分を修正した。

梨奈は大きな姿見の前に立った。手鏡と姿見の二枚の鏡を使い、梨奈は背中に転写された鳳凰を見た。

梨奈は天に向かって羽ばたく鳳凰を希望した。それでジュンは右肩に頭を、そして背中いっぱいに翼を広げた鳳凰をデザインしてくれた。

「わぁ、すてき。これが私の鳳凰ね。本当に、大空に向かって飛び立っていきそう。早くきれいに仕上げたいです」

梨奈は背中の鳳凰に見とれた。

「尾羽が転写シートに入りきらなかったので、あとで手描きしますね。尾羽は腰から太股にかけて、ふわっと巻き付けるような感じでいいかしら。けっこう大きな絵になってしまいますけど」

「はい、それでけっこうです」

梨奈はジュンの提案に賛同した。

「それでは始めます。頭をこちらに向けて、施術台に寝てください」

梨奈はジュンの指示に従って、施術台の上に横になった。まな板の鯉の心境だった。これでもう背中一面に大きな絵が入ってしまうのだ。もう引き返すことはできない。自分は一生大きな彫り物を背負って生きていくのだ。

右肩の辺りに、最初の針が下ろされた。背中はこれまで受けたお尻や腰に比べ、痛みがずっと大きかった。梨奈は思わず激痛に目を閉じた。針は肩胛骨から背骨の近くへと移動していった。背骨の上は特に痛く感じた。

「背中って、すごく痛く感じますね。前に彫ってもらったお尻や腰より、ずっと痛みが厳しいです」

「人によって感じ方は若干違うけど、背中は痛いという人が多いですね。大丈夫ですか?」

「はい、大丈夫です」

「辛かったら言ってくださいね。休憩しますから」

梨奈は歯を食いしばって苦痛に耐えた。この苦痛を我慢すれば、私は美しい絵を手に入れることができるのだ。この痛みはそのための代償なのだ。そう思うと、苦痛にさいなまれながらも、また性的な興奮がこみ上げた。この感覚があるから、私はタトゥーにやみつきになったともいえるのだ。私って、本質的にスケベなのかしら、と梨奈は考えた。

一時間半ほどで休憩となった。ラインは転写した絵の半分ほどできている。小さな鯉を彫るだけで一時間かかった梨奈とは、大違いだ。休憩の間、梨奈は姿見に自分の背中を映していた。

施術を再開した。背中への筋彫りは、思いのほか痛みが厳しく、ときにはちょっと休憩したいと思った。けれども、弱音を吐いてはいけないと、懸命に苦痛に耐えた。その一方で、自分の肌が美しく染まっていくのだと思うと、心地よい痛みにも感じられた。

尾羽を残して、転写した部分の筋彫りが終わった。

「まだ時間はありますが、どうします? 今日はここまでにしますか? 次の予約は六時からなので、あと一時間ぐらいはできますが」

背中はけっこう苦痛がひどかったので、もうこれぐらいにしておきたいというのが梨奈の本音だった。それでもあと一時間あるなら、やっておきたいという気持ちもあった。少しでも先に進めたい。

「はい、大丈夫です。お願いします」

「それでは、尾羽の部分を直接肌に描きますね」

ジュンは背筋を真っ直ぐにして立つよう、梨奈に指示した。そして筆ペンで、三本の尾羽のおおよその形を描いた。左の尾羽は腰の左側から、太股の前のほうに回り込み、膝まで達していた。真ん中のものは臀部の左側からカーブをつけて太股の後ろになびいていた。もう一本は右側にある牡丹に重なり、右の太股に抜けている。

「ざっと描いてみましたが、こんなところでどうですか? 太股の前のほうまでかかるのが大きすぎていやなら、もう少し短めにしておきます。いちおう尾羽は三本描きましたが、あとでもっと増やすこともできますよ」

「大きさはこれでけっこうです。大きいほうが立派に見えますし。尾羽はもう少し増やしてもいいですね。尾羽が膝までいちゃったのだから、太股にも牡丹や蝶を入れたいと思います」

「そうですね。尾羽は五本にしましょうか。太股に牡丹をいくつか足すのもいいですね。でも、まずは鳳凰からいきましょう」

ジュンは一番左側の尾羽を細かく描き直し、その上を肌用のマーカーペンでなぞった。全裸の梨奈はアーティストが女性でよかったと思った。裸の状態で太股の前面を男性アーティストに彫ってもらうのは恥ずかしい。梨奈は女性としてはやや毛深い方だ。それが梨奈の悩みでもあった。ピオニーでは脱毛をやっていないので、店長の友人が経営するエステティックサロンで、脚や腕の脱毛処理をしてもらった。

そういえば、自分が彫り師になったら、ときには男性の微妙な部分に彫らなければならないことがあるかもしれない。そう考えると、梨奈はつい顔を赤らめてしまった。

「さあ、施術台に寝てください」

ジュンは尾羽のラインを引いた。腰や太股は、背中に比べれば苦痛は軽かった。尾羽は長く、けっこう細かい線が多いので、一本彫るだけでかなり時間がかかった。

「では、今日はここまでにしておきましょう」

施術が終わり、梨奈はほっとした。次は三日後の金曜日に休みをもらえるので、その日の昼間を予約した。
 
「とうとう背中までやっちゃったんだ」

家に帰った梨奈は、入浴後、自室の鏡台の前で裸になり、自分の背中を鏡に映した。まだ筋彫りだけとはいえ、背中に大きく鳳凰を背負ってしまった。

これまでもお尻や自分の練習で使った脚などに、けっこうたくさん彫ったが、背中一面となれば、その重みが全く違う。私は自分の人生に、とてつもなく重い荷を背負ってしまったのだ、と梨奈は考えた。間もなく美しく色が入り、鳳凰が背中で華麗に舞うことになるだろう。もはや後戻りはできない。

今はタトゥーもファッションとして受け入れられつつあるとはいえ、これほど大きなタトゥーは、他人の目からは、やくざなどがする“入れ墨”、または “彫り物”と認識され、厳しい目で見られるかもしれない。

しかしそれでもいいと梨奈は思っている。要するに、自分さえしっかりしていればいいのだ。タトゥー自体は決してわるいことではない。それどころか、非常に美しいものだ。世間の偏見により、たとえ辛いことがあっても、私は決して曲がった道には進まない。大きな“入れ墨”をしていても、立派な人がいるのだということを、私が示していけばいい。梨奈はそう決意した。
 
梨奈は二回目の施術を受けた。尾羽を増やし、鱗のような本体の羽毛をつけて、筋彫りは終了した。今回はすべて手描きで下絵を描いた。まず鳳凰を完成させ、牡丹はそのあと散らすことにした。背中から太股まで、白い部分を牡丹で埋め尽くすつもりだ。どうせ背中に彫るのなら、徹底的にやってしまおう。次回からいよいよ色を入れる。背中が美しく極彩色に彩られることが楽しみだ。

梨奈は勤務が休みの日、週一回程度のペースで施術を受けることにした。休みが取れれば、週二回受けることもある。以前はフェニックスタトゥーは予約が多く、一ヶ月以上待たされることもざらだった。しかしリーマンショック以降、タトゥー業界にも不景気の波が押し寄せてきた。今は土日祝日はなかなか空いていないものの、平日の昼間は予約が取れることが多い。梨奈はピオニーの勤務がない日は、空いていれば昼間の時間帯を予約した。
 
政夫の鯉の続きを彫る日となった。今回もスタジオの会議室を借りた。前回と同じメンバーが梨奈の施術を見学した。

ジュンの助言に従い、最初に同意書を書いてもらった。ジュンからもらったフェニックスタトゥーの同意書を参考にして、梨奈はパソコンで自分なりのものを作成した。

年齢に関しては、梨奈は政夫の年齢を知っているので、改めて確認をしなかった。政夫は来月二四歳になる。
政夫は飾りに紅葉をつけてほしいというので、最初に小さな紅葉を五枚彫り足した。紅葉は手描きで付け加えた。

まず薄ぼかしのところにさらにぼかしを加え、部分的に濃くしていった。この前ぼかした部分は、ジュンが指摘したとおり、多少のむらはあるものの、全体的に薄く染まっていた。初めてのぼかしにしては、まずまずかな、と梨奈は思った。均一の濃度でぼかしを入れることは難しい。濃く染めすぎてしまった部分はもう薄くはできないので、慎重な作業を要する。

梨奈は鯉の背中に向け、徐々に色を濃くしていき、ぼかしのグラデーションをつけていった。濃淡のむらにならないように、気を配った。

ぼかしが終わった後、ひれの一部分に赤や黄、波は水色を入れた。紅葉は赤と黄色だ。ぼかしの部分に色が混ざらないように、慎重に針を運んだ。

ぼかしと色に三時間近くかけて完成した。梨奈は汗でびっしょりだった。

「終わりました。私なんかに彫らせてくれて、ありがとうございました」

「いや、こちらこそありがとな。素人だなんていうけど、これだけできれば立派なもんだがや」

「もしかさぶたなどがとれて、色が飛んでしまったところがあれば、直しますので」

もう会議室の鍵を返さなければならないので、梨奈は急いで後片付けをした。

片付けを終えたあと、見学していたメンバーたちと一緒に、ファミレスに行った。バイクギャングロッカーズのメンバーのクルマ二台に分乗した。梨奈と七海は政夫のデミオに乗せてもらった。

ファミレスで食事をしているとき、バンドの他のメンバーから「俺にも何か彫ってくれよ」と依頼された。

「私もきれいなのを入れてみようかな。タトゥーといっても、今では消えないお肌のアクセサリーだから」

一緒についてきた女の子の一人が、タトゥーを入れることを希望した。彼女はもうすでにタトゥーが入っている。七海も小さな星かハートを、目立たないところに一つだけ入れたいとリクエストした。

一人がタトゥーのデザイン集を持っていたので、みんながそれを見ながら話し合った。そのデザイン集には、それぞれの図柄が持つ意味などの説明もあった。

バイクギャングのヤスと呼ばれる人が、左手首にトライバルという黒い模様を巻きたいと依頼した。タツは左前腕部に般若だ。タツのガールフレンドの沙織が、胸に四つ葉のクローバーを入れたいと申し出た。七海はデザイン集を見て、チェリー二個の図柄を選んだ。足首に入れたいとのことだ。

「私みたいな素人でいいんですか? やっぱりきちんとしたプロのアーティストさんにやってもらったほうがいいと思います。スタジオの近くにも、私が彫ってもらっているフェニックスタトゥーがありますし。マサさんとトミーさんは、コージさんに彫ってもらったそうですね」

梨奈は何人もの人から依頼を受け、当惑した。

「いや、俺は梨奈ちゃんにやってもらいたいんだ。マサに彫った鯉を見ていると、けっこううまいじゃん。梨奈ちゃん、お願いするよ」

トライバルを希望したヤスが改めて梨奈に依頼した。

「私も梨奈さんとはこの前知り合ったばかりだけど、梨奈さんに彫ってもらいたいな」

沙織も言った。彼女は右手首に、赤いバラの花を入れている。そのバラを中心として、いばらをデザインしたトライバルが手首を巻いている。また、左の耳の後ろには月と星をデザインしたタトゥーが入っている。ふだんは髪で隠れているとはいえ、人目につきやすい。手首も常時見えるところだ。そんな場所に彫っていて、大丈夫なのかなと、梨奈は人事ながら気になった。

結局梨奈は七海を含む四人から依頼を受けた。残ったメンバーのトミーも、「その次は僕たちにもやってもらおうかな」と、ガールフレンドの淑乃と目配せをした。淑乃も肩に蓮、太股に人魚のタトゥーを入れているそうだ。淑乃は梨奈と同じく、ジュンに彫ってもらった。みんなロック好きの仲間なので、タトゥーにも抵抗がない。沙織も淑乃も、梨奈や七海より少し年上に思われた。二人には大名古屋タトゥー大会で会っていたのだが、梨奈は気づかなかった。

(ああ、これは大変なことになっちゃったな)

梨奈は心の中で呟いた。マサさんだけならともかく、これだけ依頼を受けては、中途半端な気持ちではできないわ。梨奈は気を引き締めた。

梨奈は依頼された下絵を作るため、そのデザイン集を借りた。デザイン集にあるのは、他のアーティストの作品なので、そのまま真似ることはできない。それを参考にオリジナルのフラッシュを作らなければ、と梨奈は考えた。
 
家に帰ると、母親が「今日は遅かったね」と一言苦言を呈した。

「うん。仕事が終わってから、七海に会って食事してたから。朝、家を出るとき、言ってあったでしょう。今日は七海の彼氏やバンドの仲間も一緒だったから、話が弾んじゃったのよ。まだ午前様、というわけでもないんだし、私はもう二一歳の大人なんだから、あまりくどくど言わないでほしいな」

「そう。ナナちゃんの彼氏も一緒だったの。梨奈も早くいい人を探してきなさいよ。そのバンドの人はどうなの?」

「だめ。その人も彼女が一緒だったから」

「そうなの。みんなカップルだったのに、梨奈だけが一人だったのね」

「私もそのうち七海よりすてきな彼氏を見つけるからさぁ。それよりお風呂お風呂。遅くなっちゃったから、お風呂入って寝るわ」

母にはまだしばらくタトゥーのことを気付かれないようにしなくては。自分が彫ってもらっていることも、他人に彫っていることも。父は梨奈にとって優しい父親ではあるが、娘の動向にはあまり頓着していない。けれども母は非常にめざといところがある。

高校時代、当時付き合っていたボーイフレンドに、勢いで処女を捧げたときも、母は梨奈の態度から、すぐ察してしまった。父がいないところで少し説教された。

「セックスが絶対だめとは言わないけど、まだ高校生なんだからね。妊娠だけはしないように避妊をしっかりしなさいよ。病気の予防にもなるんだから」

そのとき、梨奈は母親から口うるさく注意されたのだった。ある意味、話がわかる母親でもあった。
 
梨奈の鳳凰は施術が進んでいった。筋彫りに比べ、色づけは苦痛がやや少なかった。筋彫りが痛く感じるのは、針を刺す深さが、色づけやぼかしに比べてやや深いせいかもしれない。筋彫りは針もシェイダー用よりは本数が少ない、細いものを使う。梨奈は背中の鳳凰が美しくできあがる光景を想像しながら、ひたすら三時間、四時間と続く針の責め苦に耐えた。一回の施術は二時間単位だが、梨奈はたいてい四時間の時間枠をとってもらった。

ジュンは梨奈の肌は非常に彫りやすいとほめた。色がよく入る。肌が白いので、発色もきれいだ。まさにタトゥーを彫るために生まれたような肌だと言った。また、梨奈は我慢強く、施術中ほとんど動くこともないので、作業がはかどる。梨奈の背中はどんどん彩色された面積が増えていった。
 
梨奈はヤスの左手首にトライバルを彫った。いつものように、バンドの練習のあと、スタジオの会議室を借りた。ヤスの本名は志賀康志という。梨奈はデザイン集を参考にしながら、何種類かの模様を作った。康志はその中から一つを選んだ。

手首に巻くので、転写の場合は、ぴったり手首にあった転写シートを作らなければならない。しかしぴったりサイズが合うものを、あらかじめ作っておくのはむずかしい。拡大縮小ができるコピー機があれば、便利なのだが。それで梨奈は転写ではなく、手首に直接下絵を描くことにした。

単純な図柄なので、簡単にできると思ったのだが、歪んだり、左右対称にならなかったりして、けっこう苦労した。梨奈はいくつも補助線を入れながら、慎重にデザインした。下絵を描くだけで一時間近くかかってしまった。

下絵が完成し、次は筋彫りだ。梨奈は自分の肌で練習したことも含め、何度も経験を積んできたので、筋彫りが多少早くなった。輪郭も単調なので、筋彫りは三〇分ほどで終わった。

そして黒のつぶしだ。むらにならないよう、均一に色づけしなければならない。また、模様の先端のとがった部分は、色がはみ出ないように、注意が必要だ。梨奈は細かい部分の作業には、アートメイク用のマシンも使った。アートメイクマシンは、本業で使うものとは別に、タトゥー用に一台買い足してある。

肌に下絵を描くのに手間取り、時間が圧迫されてしまったが、何とか時間内に施術が完了した。手首の細い部分で、図柄が小さかったので完成できたが、上腕部などの太い部分なら一回の作業では終わらなかったであろう。

今回もまたみんなでファミレスに行った。今日は康志のガールフレンドの直美も、康志が彫ってもらう場面を見るために、一緒に来ていた。梨奈は直美とは初対面だ。彼女にはまだタトゥーがないから、小さなワンポイントを入れてみようかな、とファーストタトゥーをリクエストした。

みんなで今日彫ったトライバルについて話し合った。誰もがもうプロ並みだとほめた。けれども梨奈はまだとてもプロとして料金をもらえるレベルではないということを自覚している。康志も針などの消耗品はただではないので、せめて消耗品代は受け取ってくれ、と三〇〇〇円を払ってくれた。

政夫も前に彫った鯉を見せた。もうかさぶたも取れ、傷はきれいに治癒している。アマチュア彫り師の作品としてはわるくない出来栄えだ。けれどもジュンならずっときれいに仕上げるだろう。その場にいる仲間たちは、梨奈の作品を評価してくれる。それでも梨奈は慢心することなく、他人に彫るのなら、もっと練習をして、腕を磨かなければならないと自分を戒めた。

「次は私の胸に、四つ葉のクローバーをお願いね」

バイクギャングロッカーズのメンバーの則武達義、通称タツの恋人である沙織が梨奈に依頼した。タツはベースギター担当で、バイクギャングロッカーズのリーダーだ。二六歳でグループ最年長でもある。沙織はバイクギャングロッカーズのマネージャーのような立場でもあった。

梨奈は四つ葉のクローバーと、その左右斜めに、小さなトライバルをあしらった絵を見せた。沙織はそれを気に入り、その図柄を入れることに決めた。

沙織は夜の仕事をしており、昼間は時間が空いている。次の梨奈の休みの日に、七海と共に、梨奈の部屋で施術をすることにした。ジュンはその日、すでに別の人の予約が入っていたので、梨奈は予約を取れなかった。七海は左足首の内側に、チェリーの図柄だ。七海はその日は休暇を取るそうだ。

七海に本当にタトゥーを彫ってしまっていいのか、梨奈は何日か前に、くどいほど念を押した。一度彫ったら、もう二度と消すことはできない。レーザー照射は、黒一色のタトゥーにならある程度有効でも、七海が希望するチェリーの図柄は赤や緑などのカラーを使うので、きれいに消すことは不可能だ。

皮膚切除の手術をすれば、完全に消すことはできても、大きな傷が残ることになる。それに小さなものでも、消す費用は十数万円もかかる。タトゥー除去には保険が使えないからだ。梨奈は社会的なデメリットなども七海に話した。

しかしそれらのことは、梨奈がタトゥー大会でジュンに彫ってもらうことを決断したとき、七海が梨奈に警告したことなので、七海は十分承知していた。

「私は梨奈みたいに全身じゃなくて、足首に小さいチェリーを一つ彫るだけだから。マサだっていくつか入れているんだし、大丈夫よ。私、二、三年したらマサと結婚するつもりだから、夫婦でタトゥーがあっても別に問題ないわ」

「何か当てつけられちゃった。ごちそうさま。それなら大丈夫ね。七海にはうんと痛くしてやるから」

いろいろ話し合った末、梨奈は七海に彫ることを承知した。
 
梨奈は沙織と七海に施術した。実践は最高の練習であり、梨奈のタトゥーのスキルは確実に上がってきている。自分の部屋なので、安心感もあった。最初に沙織の左胸に、四つ葉のクローバーを彫った。自分の肌への練習を別にすれば、女性への施術は初めてだった。

クローバーの直径は四センチほどで、その左右、斜め方向にトライバルのような模様をつける。色は緑、黄緑、黄色の三色を使う。トライバルの部分は黒くつぶす。梨奈の施術スピードは多少速くなっているので、二時間ちょっとで完成した。

少し休憩してから、七海の施術にかかった。チェリーは一・五センチほどのものを二粒、柄の先には葉を一枚つける。

チェリーは単純なので、転写を使わず、直接肌に手描きをした。

初めての針を受け、七海はちょっと痛そうだった。

「大丈夫?」と梨奈は七海に尋ねた。

「うん。平気。切れないカミソリで切りつけられたみたい、とタトゥー雑誌で読んだことあるけど、ほんと、そんな感じね。私は人に彫ってもらうだけで、我慢してればいいんだけど、梨奈は自分自身にこんな痛いことしてたんだ。大変だったね。梨奈、ひょっとして、マゾだったりして」

「最後の一言は余分。そんなこと言うなら、サドになって思いっきり深く針を刺してやる」

「いや、やめて。人殺し」

二人のやりとりを見ていた沙織が、思わず吹き出してしまった。

梨奈は筋彫りを進めた。ラインが終わってから、一〇分ほど休憩した。

サクランボの色は赤。白で光沢をつけた。陰になる部分は、赤に加えて、黒で薄ぼかしを入れたので、立体感がついた。葉は緑、黄緑、黄と徐々に色に変化を与えた。

二人続けて彫ったので、梨奈は疲労感でぐったりした。ジュンは四時間ぐらい続けて梨奈に彫り、さらにそのあとにも別の客が来る。プロになったなら、一日七、八時間は彫ることもあるだろう。この程度で疲れているようでは、とてもプロにはなれないな。梨奈はもっと頑張らねば、と自分に言い聞かせた。

施術が終わってから、七海が背中の鳳凰を見せてほしいと梨奈に頼んだ。

「まだ彫ってる途中で、色が少ししか入ってないけど」
そう断って、梨奈は服を脱いだ。肩から背中いっぱいに翼を広げた鳳凰が飛翔している。色はまだ頭から翼の一部にしか入っていない。頭は赤、オレンジ、黄色で、本体や翼は緑、青、紫、黄など、極彩色だ。腰、お尻から太股にかけて、五本の尾羽がなびいている。翼の部分は色を入れたばかりで、まだかさぶたがはがれていない。

「鳳凰が完成したら、空いてるところに牡丹をたくさん散らす予定よ」

「すごい。きれい。まだ色があまり入ってないけど、それでもとてもきれいだよ。こんなの見せられたら、私も大きく入れたくなっちゃう」

「七海はだめ。ワンポイントだけで我慢しときなさい」

梨奈の背中を見て、七海も沙織も目を見張った。

「それってジュンさんでしょう? 淑乃の蓮と人魚もジュンさんに入れてもらったんだよ。私も今度はジュンさんにやってもらおうかな」

沙織はジュンの作品を賞賛した。彼女はこれから仕事があるといって、早めに梨奈の家を出た。

「次はタツの般若ですね。タツもよろしくお願いします」

沙織は別れ際に四つ葉のクローバーを彫ってもらったことにお礼を言い、恋人の達義のことも頼んでいった。
 
その後、梨奈は達義やトミーこと長岡富夫、淑乃、直美にもタトゥーを施した。

達義の般若は、他のアーティストの作品や、インターネットで調べた般若の能面などを参考にして、オリジナルのフラッシュを作った。梨奈にとっては初めての黒の濃淡だけによる作品だった。いわゆるブラックアンドグレイだ。

富夫の注文は胸にスカルだった。リアルなスカルではなく、ニュースクールといわれるスタイルの、どこかかわいげがあるスカルだった。

淑乃は右腕に赤いバラ、直美は腰に蝶を依頼した。直美にとっては初めてのタトゥーだったので、最初はかなり緊張していた。

梨奈はバイクギャングロッカーズのメンバーとそのガールフレンド全員にタトゥーを彫った。それにより、梨奈は多くのタトゥーの経験を積むことができた。

ときには色がわずかに線からはみ出したり、多少の色むらができたりもした。けれどもそれほど見苦しい失敗ではなく、あとから修正することもできた。

デジカメで記録した写真をジュンに見せると、「だんだんよくなってきていますね。これなら駆け出しのプロにも負けないぐらいです」と好意的な評価をした。また、今後のアドバイスもしてくれた。ジュンは梨奈にとって、タトゥーの師といえた。
 
背中の鳳凰の施術はかなり進んだ。もう半分以上色が入り、残っているのは長くて大きな尾羽などだった。
そんなある日、仕事を終えて帰宅した梨奈は、入浴後、自分の部屋でくつろいでいるとき、母親の訪問を受けた。

「梨奈、おまえ、いれずみしたの?」

母に突然小声でそう言われ、梨奈は愕然とした。

「今朝パートに出かける前に、たまには梨奈の部屋を掃除しておこうと部屋に入ったら、下着に大きな色がついた染みがついていたけど、ひょっとしたらいれずみなの?」

昨日、梨奈はピオニーが休みで、ジュンに鳳凰の続きを彫ってもらいに行った。翼の部分の広い面積に色を入れた。

昨夜、入浴してからタンクトップの下着を替えたのだが、夜寝ていたときに下着が浸潤した体液で汚れていた。それで朝、また新しい下着に着替えた。そのとき脱いだ下着をそのままベッドの上に置いておいたのだ。それを母に見つけられてしまった。梨奈は体液が付着して汚れた下着は自分で洗濯しているが、脱いだ下着が見つかるとは思ってもみなかった。

梨奈はしばらく無言でいた。勝手に人の部屋に入らないで、と抗議する余裕もなかった。

「最近、ロックバンドやってる人と付き合っていると言っていたでしょう。ロックやってる人って、中にはいれずみしてる人もいるんでしょう? 前に一度遊びに来た人も手首にしてたし。それで梨奈もやったわけ?」

母は梨奈の無言にはお構いなく続けた。前に遊びに来た人というのは、七海と一緒に彫りに来た沙織のことだった。そのときは沙織と七海に挨拶してからすぐ、母はパートに出かけていった。

「“入れ墨”というと、昔の刑罰みたいだから、タトゥーと言ってよ」

「いれずみでもタトゥーでも、どっちでも同じでしょう。やっぱり梨奈もいれずみしたのね」

「うん。きれいだから、自分にもやってみたいなと思って」

梨奈はやむなく正直に答えた。

「それで、何をやったの?」

母にそう尋ねられ、梨奈は服を脱いで母に背を向けた。風呂からあがったときに下着を替えたので、下着がタトゥーを入れた部分にこびりついているということはなかった。

「そんなに大きなものをやっちゃったの。痛かったろう? まだ傷も生々しいし。もう消すことはできないの?」

梨奈の背中いっぱいに羽ばたいている鳳凰を見て、母は涙ぐんだ。

「うん。小さなものなら、除去手術で消すことはできるけど、これだけ大きなものになると、ちょっと無理。皮膚をはがして消す手術もあるけど、大きな傷が残るし、背中一面だと、費用も何百万もかかるというわ」

「レーザーで簡単に消えると聞いたけど」

「レーザーはだめよ。黒一色の小さなタトゥーならともかく、これだけ大きくて色もたくさん使ってあるタトゥーには、ほとんど効果がないの。ピオニーでもレーザー照射によるタトゥーやアートメイク除去をやってるから、よくわかってる」

「そうなの。レーザーじゃだめなのね。そんな大きないれずみしちゃって。これからどうするつもり? 結婚だって難しくなるだろうし。ピオニーの人は、どうなの? まだばれていない?」

母親は涙を流しながら梨奈に尋ねた。

「ごめんなさい。こんなことしちゃって。でも、私、きれいに自分の身体を飾ってみたかったの。ピオニーでは、白衣から見えるところに入れなければいいと店長も言ってくれてるわ。今はタトゥーもファッションとして認められつつあるし、いつかきっといい人と出会うこともあると思うわ」

母の涙に誘われ、梨奈も目に涙を浮かべた。

ピオニーでは、梨奈が背中に鳳凰を入れていることをもう知られていた。佳枝はタトゥーに関して、よく気がつく。梨奈が背中に彫ってもらってから、二、三日は背中を気にしていることを疑問に思い、勤務終了後に梨奈を食事に誘って、問い質したのだった。店長の和美は佳枝から報告を受けたが、タトゥーは個人の自由だから、仕事に支障がなければ何も言わないと容認した。佳枝も店長には穏便に計らってもらえるように、頼んでくれた。

母親はタトゥーがばれてはいるものの、職場で寛大な対処をしてもらえたことに、ひとまず安堵した。

「確かに今は歌手やスポーツ選手でもけっこういれずみしてる人がいるけど。でも、それだけ大きないれずみだと、とてもファッションだといえないでしょう。どうしてもっと小さなもので我慢できなかったの?」

「最初は牡丹の花一輪だけだったけど、やっぱり大きくてきれいなものを入れたくなって。ごめんなさい」

梨奈は自分の練習で自身に彫っていたことは言わずにおいた。

「まあ、そんなに大きくしちゃって、もう消せないなら、しょうがないわね。でも、いれずみしたことでどんなに辛いことがあっても、決して世間を恨んだりしないで、真っ直ぐに生きてよ。これだけは約束して。いい? それから、お父さんにはできるだけ気づかれないようにしなさい」

「はい、約束します。たとえタトゥーのことでどう言われようと、決して曲がることなく、真っ直ぐ生きていきます」

結局母親も折れざるを得なかった。中途半端ではかえってみっともないので、鳳凰を完成させることを許してくれた。

母親は梨奈の部屋から出ていった。梨奈はお母さんを悲しませたりして、申し訳ないことをしたと反省した。
けれどももう引き返せない。タトゥーは消せないけれども、せめて母を裏切るような非行には決して走るまいと心に誓った。


牡丹BN2

第4話 背を舞う鳳凰    2013年03月29日(金)10時00分
第3話 彫師デビュー    2013年03月15日(金)10時00分
第2話 チャレンジ     2013年03月05日(火)10時00分
第1話 タトゥーとの出会い 2013年02月22日(金)10時00分

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