TATTOO COLUMN

瓜田純士の僕の心は顔面タトゥー

56

アウトローです。

俺を24で産んだ母恭子。

ブラックエンペラー初代の女をやりながら、

日本で初と言われる
特攻服の産みの親でもある。

俺が小学生の頃

毎日学校や警察に呼ばれ

俺はいつも照れ隠しをしながら
悪童貫き謝りながら

母子家庭で貧乏しながら、


笑い絶えない家族だった。
少年期
刺青を俺がいれた時

"純士!ヤクザになる気!"


と大きな声を張り上げたが、


見せて見せて!


と羨ましそうに見ていた。



なにしろお袋は、

少女時代から

刺青師界の人間国宝

梵天太郎さんのジャンパーを着て、


帝京高校在学中、

屋上に先輩連中に呼び出され

袋叩きに遇いながら、
カミソリで先輩の顔面を切りつけて
中退した。




そんな若い青春期から
刺青をずっと入れたい思いの中、


小学生にして新宿で悪魔

と噂されてしまう次男
俺を産んでしまい、



さらに刺青を

"入れたの!"


と止めた"感"


を出してしまった為、


実は今日まで
我慢していたらしい。



そんなお袋が、

先日56になり、


節目


とか言い出し
背中に
極楽堕遊と鳳凰を入れた。


2週間そこらで。




気合いが入るをここまで行けば
自分の母ながらあっぱれとしかいいようがない。




俺も指は食いちぎるは

腹はぶっ刺すは

中々ハイカラだが、



この親子



歌舞伎町産まれだけに


歌舞伎過ぎた。




とにかく文章にしたら安くなる。

特攻服の産みの俺にして、
関東連合創始者の女にして

アウトロー瓜田純士の母
瓜田恭子の数回で仕上げた背中をみよ!
瓜田純士氏の母

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Posted at 2011年09月29日 17時54分