TATTOO COLUMN
おはよーございます。
今回はざっとワタシのこと話すわね。あの「事件」でウィキペディアにも載っちまってるけど(苦笑)
生まれは岐阜県岐阜市、高校は大垣市の「N大学付属高校」に。エスカレーター式に進学が出来るから、N大学芸術学部放送学科に進学。
卒業してどっかの放送局にもぐり込むつもりだったんだけど、運悪く?
芝居にハマっちまったのよぅ。
で、野沢那智さん(故人)主宰の劇団「薔薇座」の研究生になるの。
二十代後半まで在籍したかしら・・・
とにかく薔薇座は先輩も後輩も芝居が巧いの。
とくにセリフ術!みんな抜群だったわ(*_*)。
「こりゃダメだ、ワタシでは・・・」・・・お決まりの挫折。
モチロン組合員(ゲイの隠語、ホモってことよっ)だから、そのころから二丁目には通ってたわよ。
折しも80年代、日本はバブルに突入!、イケイケドンドンよ!!
折しも80年代、日本はバブルに突入!、イケイケドンドンよ!!

どのマスターも次々店舗を増やしてたの。とにかくお金が溢れてたわね。
そこに悩めるビンボーなワタシ。
通ってた「B」って店のオーナー「T」さんから、もう一軒店を増やすから、そこで雇われ店長やってみない?
・・って持ちかけられたの。
そりゃぁ渡りに船よ。これからどうしようって途方に暮れてたんだから。
その「Tさん」がもともと野郎同士のSM bar を経営してたわけ。
もう一軒となると、SM だと客を食いあっちゃうから、褌bar をやりたいっていうの。
もう一軒となると、SM だと客を食いあっちゃうから、褌bar をやりたいっていうの。
当時、札幌、大阪、博多には褌bar はあったの。
上野、浅草、新橋にもあった。でもなんと、二丁目には無かったのよぉ。
だから二丁目で最初に褌bar をやったのは、雇われとはいえワタシなの(ドヤ顔)
26歳だぁね。画像は30歳、
その当時、組合員の間では有名だった神奈川県の褌ビーチ(笑)K海岸。
ワタシもまだ可愛かった(ふっと遠くを見つめる)
もうひとつは5周年の時だから35歳ってトコ。まだ墨の入ってないまっさらな躰ですわ。

あ、しゃべり過ぎたっ!
風呂風呂っと・・・
じゃ、次回ね。
ばっはっは~~い(古っ!!)(^_^)/
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