TATTOO COLUMN




「ファーストタトゥー?小学生の時だな」


未成年への施術が問題として取り沙汰されているこのご時世に、いきなり物騒な発言をするこの男、瓜田純士をご存知だろうか?
肩書き-俳優・作家・格闘家・映画監督・モデル・エッセイスト、そして表現者。
通称-アウトローのカリスマ、そして歌舞伎町の若き伝説。
しかし、いくらこうして雑多な文字を並べてみても、この男を理解していただくに足る表現が見当たらない。
その反社会的な発言と行動によって、開設するそばから公式ブログは軒並み強制退会。
小指の欠損と全身の刺青というハンデを負いながらも、ときおりアウトロー関連事件のコメンテーターとしてもメディアに露出していたが、顔面へ の刺青によりもう地上波とは疎遠になって久しい。
今回我々タトゥーナビ編集部は、彼が某写真週刊誌での連載を終えるとの情報をキャッチし、次の発言の場の一端に、我々のサイトを利用してもらえないかとのオファーを無謀にも試みた。

-不良少年時代から極道時代、そして現在のエンタメ業界時代を通して、刺青カルチャーにとても近い環境に身を置き続けているはずの彼の紡ぎ出す言葉が、タトゥーナビに何かしらの化学反応を起こしてくれる-

そう思わせる何かを”瓜田純士”に感じた、というのがその試みの動機である。

しかし、我々にはもちろん下心もある。
瓜田純士には、熱狂的なファンと、その何倍もの熱狂的なアンチが存在する。彼の一挙手一投足は、ファンだけでなくアンチ達もまた注目しているのだ。
この注目を、そして彼のネームバリューを利用して、タトゥーナビにアクセス数として還流することが、タトゥー業界へのプラスになれば、という狙いも我々には少なからず存在している。

”アンチが注目?嫌いなら注目なんてしないのでは?”

そう思う方もいるだろう。しかし、彼には嫌いなはずなのに見てしまう、横暴なのに付いていってしまう、そんな人を惹きつける何かがあるという事は断言できる。
事実、今日も彼のアンチ筆頭である「爪田ブログ/ツメタブログ」では、瓜田純士の行動が観察され続けている。
ツメタ氏などは、瓜田純士の細かい行動や矛盾を執拗に追求し、小馬鹿にしつつも、なぜか深い愛情のようなものさえ感じられるのは気のせいだろうか?

さて、前述のとおり、いくら瓜田純士を言葉で表現しようとしても、それは底の抜けた柄杓で水をすくうのに等しい。

-瓜田純士とは何者なのか?-

おそらくその問いに答えはないのかもしれない。
そう、強いて言うならば”アウトロー”なのだろう。それしか答えと言っていいような言葉は見当たらない。
格闘家かと思えば主催者に噛み付いてやめてしまう。
作家や表現者としての大切なはずの表現の場も、その奔放さが災いしてか、インターネットメディアからは強制的に排除された。
音楽や映像等、エンタメの世界では、危うさをたたえながら継続しているものの、この”問題児”が何事も無くその肩書を持ち続けられるのかはまだわからない。

-触れたら切れる鋭利な刃物の様に-

彼は誰かれ構わず噛み付き続ける。
規律を逸脱する、という行為そのものが狭義でのアウトローとするならば、彼はそれを体現している。
負けた喧嘩も数多くあるという。刑務所の檻の中や精神病棟に押し込まれたこともある。世間からはバッシングの嵐。しかし、そのどれもが彼を縛る鎖には成り得ないのだ。
だから人は言う。アウトローのカリスマ、と。

長々と答えのないこの瓜田純士という男の解説をしてもキリがない。
とりあえず先に結果だけ発表しようと思う。

実は、我々の不安をよそに、オファーは快諾してもらうことができた。
さらに、その快諾の理由は拍子抜けするようなものだった。

「しょうがないよね。タトゥー=我々だから」

こうして瓜田純士のタトゥーナビへのコラム連載は決定した。

コラムタイトルは
『瓜田純士の、僕の心は顔面タトゥー』

これにするとの事である。
やはりアウトロー、この男、底が知れない。
そしてタイトルの意味も常人の私にはわからない。

次回はこの時のインタビューの様子を貴重な写真と共にご紹介したい。

なお、連載は、8/25(木)からに決定している。

「震えて待て!」by瓜田純士

このエントリへのコメント[Facebook]

Posted at 2011年08月19日 21時40分