現代に続く日本の華美な刺青文化は、江戸時代中期に確立されたものと言われています。
江戸や大阪などの大都市に人口が集中し始め、犯罪者が多数発生するようになったため、犯罪の抑止を図る目的で入墨刑が用いられましたが、容易には消えない入墨の特性が一般的に再認識された事で、その身体装飾への応用が復活したと言われています。
近代においては和彫りや総身彫りというと任侠のもののように思われがちですが、当時は大工、左官、火消し、駕篭かき等の職人に好まれていたものでした。
また、吉原等の遊郭でも女郎と旦那衆が将来を誓う証立ての刺青を入れることが流行したりと様々な文化を創り上げてきました。
そして現代においては、程良いアンダーグラウンドの風味を維持しながら、刺青・タトゥーはどんどんボーダーレス化が進んでいます。
男女やライフスタイルの垣根を超えて様々な人がタトゥーを愛好しています。
マンガのような話ですが、1991年にアルプス山脈で紀元前3300年の新石器人が氷漬けで発見されました。
その腕には動物をかたどったタトゥーが施されて いました。
また、第一王朝が紀元前3000年前に始まった古代エジプトでも、奴隷の額に刺青を入れたり、王族が装飾として刺青を入れていた形跡や文献が 残っています。
紀元前500年前のアルタイ王女のミイラには、完全な形で腕のタトゥーが残っています。
日本でも、魏志倭人伝や後漢書東夷伝に「男 子皆黥面文身以其文左右大小別尊之差*黥面=顔に刺青を施すこと文身=身体に刺青を施すこと」との記述があります。
という事は、卑弥呼が治めた邪馬台国でも、男子は全身に刺青を施していたことになります。
さらに魏国への使者も刺青を入れていたということは、今で言う外交官のような、社会的地位の高い者でも 刺青を入れる文化や風習があったという事になります。