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刺青師牡丹-第9話 修業の日々

第9話 修行の日々 ▼前回までのあらすじ------------------------------------
梨奈は前回の一件がありピオニーをやめることになり落ち込んでいると、バイクギャングの仲間達に、彫甲という和彫りを得意とする彫師が、女性彫り師を募集をしてると聞き弟子入りを勧められる。 そして今までお世話になっていたフェニックスタトゥースタジオに挨拶に行き、スタッフに「たとえ梨奈さんが他の一門に行っても、僕はこれからも梨奈さんのこと、ずっと親友だと思っていますから。」と勇気づけられる言葉をもらい、彫甲の元へ向かった梨奈。 しかし女性としては屈辱的な洗礼を受けるも弟子入りを決意し、新たな刺青師としてのまた一歩を進めた。 また、それと同時に“彫甲入れ墨道場”で出会ったある男性に対する女性とのしての一歩も。。。 ----------------------------------------------

翌朝、梨奈は早めに起きて、入浴した。

浴室の鏡で自分の頭を眺めた。

つるつるだった頭はほんの少し髪が伸びてきた。

頭を触ると、ざらざらする。

牡丹のラインはくっきりしている。

特に一部は額にかかっており、髪が伸びてもカバーしきれない。

これはもう前髪で隠すしかないが、何かの拍子に見えてしまいそうだ。

同じく頭に牡丹の花を入れている聡美は、丸刈りにしたときは髪が伸びるまでかつらをかぶっているという。

私もかつらを作らなくてはと考えた。

道場にいるときはいいが、休みの日に外出ができない。

それに髪を伸ばせるのは、一人前の彫り師になってからだという。

まだだいぶ先のことだ。

風呂から出た梨奈は、トーストとゆで卵、みかんとコーヒーで簡単に朝食を済ませた。

あまり食欲がなかった。

そのあと、昨日メールをもらったバイクギャングの仲間たちに返信をした。

携帯電話のカメラで自分の頭を写し、写メで送信した。

多くの人は出勤の途についているが、みんな梨奈が送った写真を見て、驚いていた。


午前一〇時前に彫甲の道場に着いた。

門下生は一〇時までに道場に入るように指示されている。

強い寒波が来ており、雪がちらつく寒い日だった。

梨奈は暖かいフリースの帽子をかぶった。

髪がないので、ぶかぶかしていて、強い風が吹くと帽子が吹き飛ばされそうになった。

二階に上がると、彫甲は梨奈に新しい作務衣を二着渡した。

女性用で赤っぽい色だった。

道場では作務衣がユニフォームだ。

「作務衣だけで寒かったら、上に何か羽織っていいぞ。二着で足りなければ、自費で注文しろ」

彫甲は着替えたら、頭の牡丹に色を入れるので、下の仕事場に来るように言った。

タトゥーを彫るのも彫られるのも好きな梨奈だが、頭だけはいやだと思った。

しかしもうラインが入ってしまっている以上、どうせならきれいに仕上げたい。

中途半端なタトゥーはみっともない。

正午まで二時間近く、梨奈は施術を受けた。

頭頂部の一番大きな牡丹に赤い色を入れてもらった。

それほど痛いとは思わなかった。

ただ、頭皮のすぐ下が頭蓋骨なので、彫ってもらうときに、非常に響いた。

食事の前に、梨奈の頭を見た彫光喜が、「真ん中の牡丹、色が入っちゃいましたね」
と声をかけた。

彫光喜は丸刈りの頭を隠すため、緑色のバンダナをくれた。

そして、先ほど色を入れた部分に触れないように、頭に着けてくれた。

梨奈は彫光喜の心遣いがありがたかった。

「光喜さん、ひょっとしたら私に気があるのかしら。だとしたら嬉しいわ」

梨奈はほんのりとした期待を抱いた。

食事のあと、少し休憩してから、梨奈は彫光喜と共に一番弟子の彫青龍について、和彫りの見切りや額の付け方を学んだ。

そのあと、彫甲が描いた鯉を模写するように指示された。

「光喜、おまえは鱗描きが得意だったな。彫奈に彫甲流の鱗の描き方を教えてやれ」

彫青龍は彫光喜に命じて、一階に下りていった。

夕方四時過ぎに、彫光喜と夕食の準備を命じられた。

梨奈は近くのスーパーマーケットに食材を買いに行った。

買うものは彫光喜がメモで示してくれた。

一度の買い物で、二日から三日分の食材を買い置きしておく。

五人分なので、けっこうな量になる。

食費は一日500円徴収されるが、二食で500円なら安かった。

今後、食事の支度は彫光喜と梨奈の仕事となった。

作務衣などの洗濯は梨奈の役割だ。

夜八時に道場を閉め、掃除や片付けをすると、帰宅は一〇時過ぎになる。

ときには仕事が延長し、八時に道場を閉められないこともある。

道場を閉めたあと、ときどき彫大海が道場のホームページの更新をしている。

外見に似合わず、彫大海はパソコンなどのOA機器に強いという。

梨奈の写真もホームページに載せてくれた。

今日は四人依頼者が来て、売り上げは120,000円だと彫甲は言っていた。

夜六時から、彫青龍もワンポイントの客を彫った。

彫甲の値段設定は、フェニックスタトゥーよりも高い。

月平均の売り上げは250万円ほど、道場の家賃や光熱水費、弟子が彫った場合の取り分などの必要経費を引いた分が、道場の収入となる。

弟子が彫った場合、弟子の取り分は料金の六割だそうだ。


彫甲入れ墨道場は、奥さんが経営するちゃんこ料理武甲山も好調で、金回りがいい。

道場は“暴力団関係者お断り”といいながら、実質受け入れているので、その分も大きい。

フェニックスでは最初、カウンセリングでタトゥーのデメリットなど説明し、客にもう消すことができないタトゥーを彫ってもよいか、考える余地を与える。

しかし儲け第一主義の彫甲は、強引に客に彫らせてしまう。

彫ったあと、客が後悔しようが、知ったことではない、という考え方だ。

客は同意書に署名している以上、すべての責任は客にある、というのだ。

「おまえら、早く一人前に彫れるようになって、この道場を儲けさせてくれよな。まあ青龍はそこそこ彫れるようになってはいるが、まだ俺のレベルには及ばんな。俺たちの目標は、日本一の入れ墨道場となって、一門で東海制覇だ。おまえらが一人前になったら、道場を持たせてやるぞ」

彫甲は弟子たちを𠮟咤激励した。

翌日の木曜日は道場の定休日だった。

梨奈は午前中、かつらを作りに行った。

店はインターネットで調べ、値段や評判などで決めた。

かつらを扱うサロンに行って相談すると、女性のカウンセラーは梨奈の頭を見て驚いた。

昨日赤い色を入れた頭頂の牡丹が痛々しい。

「それ、どうなさったんですか?」 カウンセラーに問われ、梨奈は事情を説明した。

カウンセラーは理解してくれたとはいえ、戸惑った。

けれどもタトゥーを隠すためのかつらを作成する、ということで了承してくれた。

「一番の問題は、額の部分ですね。

額を狭くするようにかつらを作ると、不自然になりますし。

やはりお客様がおっしゃるように、前髪で隠すのがいいでしょうね」 彼女は梨奈の頭のサイズや形などを調べて、型を取った。

できあがるまでに二週間以上かかるという。

二週間もの間、タトゥーを晒すのもいやなので、何とかならないかと相談した。

古いものでよければ、オーダー品ができあがるまで無料で貸してもらえるというので、借りることにした。

かつらは安いものにしたが、それでも10万円近い出費だった。

失業中の身には痛かった。

彫甲で収入が得られるようになるのは、まだ少し先だ。

そのあとフェニックスタトゥーに挨拶に行った。

梨奈の頭を見て、コージもジュン、リョーコもびっくりした。

梨奈は彫甲の門下生になったことを告げた。

彫甲がジュンの鳳凰を落書きだと言って、蔑んでいたことなどは黙っていた。

「覚悟を試すために、丸刈りにして、タトゥーですか。

でもそれはちょっと行き過ぎじゃないのかな。

おでこのところは、かなり絵が飛び出していますからね。

それじゃあ顔に彫ったのと変わらないですよ。

僕はお客さんから、彫甲さんは気さくでおもしろい人だと聞いていたんだけど、ちょっとひどいですね。

そんなことをする人だとは、思いませんでした」 コージが彫甲を批判した。

「私がそんなことされたら、女の顔を傷つけたといって、傷害で訴えてやりますよ。

私も全身に入れているといっても、顔だけは絶対いやですから。

やはり女にとって、顔や髪は命ですからね」 「だけど、梨奈さんは彫甲さんの一門になったわけだから、まあ僕たちは彫甲さんの批判は慎みます。

今日聞いた話も、ここだけのことにして、ほかでは絶対話さないから、安心してください。

たとえ梨奈さんが彫甲一門に入っても、個人的には僕たちはいつまでも親友だから。

何かあれば、いつでも来てくれよ。

力になるから」 「ありがとうございます。

これからはあまり来られなくなると思いますけど、私もフェニックスタトゥーの方は、生涯の親友だと思っていますので、これからもよろしくお願いします」 梨奈はできれば彫甲より、フェニックスタトゥーでやりたかったと思った。

けれども彫光喜に出会えたことだけは嬉しかった。

夜、いつもみんなが集まるファミレスで、バイクギャングのメンバーに会った。

みんなの仕事が終わってからということで、八時集合となった。

沙織は夜の勤務があるのだが、梨奈のことを心配して、休暇を取って来てくれた。

かつらを外した梨奈の頭を見て、一同は驚いた。

写メで送ったときには、筋彫りだけだったが、今は中央の一番大きな牡丹に、赤い色が入っている。

葉の緑との対比が鮮やかだ。

「確かに牡丹はきれいだけど、頭じゃねぇ。

それに、おでこのところ、完全にはみ出してるから、髪が伸びても隠せないよ。

どうしてそんなの、彫っちゃたの?」 七海が最初に尋ねた。

「師匠は彫り師としてやっていく覚悟があるかどうかを見るためだと言ってたわ。

頭に彫るだけの覚悟がないようじゃ、とっとと帰れ、と言われて」 「それでも女の顔に傷つけるだなんて、ちょっとひどいがや。

覚悟を試すなら、ほかにもいろいろやり方あると思うんだけど。

梨奈に彫甲のこと教えたの、俺だで、ちょっと責任感じてまうな」 「いえ、マサさんの責任じゃありません。

師匠も強制はしない、と言ってたし、最終的には私が決めたんですから」 「強制はしない、といっても、彫甲のところでやるためには、頭に彫るしかなかったんだろう? ちょっとひどすぎるぜ。

タトゥー大会に頭に牡丹を三つ彫った女性が来てるけど、彼女は髪が伸びれば、完全に見えなくなるから」 達義も義憤に駆られていた。

「聡美さんですね。

彼女の旦那さんが、やっぱり以前ロックバンドやってて、頭にトライバル入れているんで、自分も頭にやってみたかったそうです。

でも、私は頭にはやりたくてやったんじゃないけど、もう消せないからしょうがないです。

おでこのところは、今なら黒のラインだけだから、レーザーで消せると思いますが、消したらもう二度と彫甲さんのところに行けなくなるし。

もうこうなったら、私、とことんタトゥーの世界でやり抜きます。

頑張れば、彫甲一門として、スタジオを持たせてくれるそうですから」 そう言いながら梨奈はかつらをかぶった。

いつまでもファミレスで丸刈りのままでいるのが恥ずかしかった。

「そうだね。

ジュンも、隠せない首や手の甲にタトゥーを入れたのは、タトゥーアーティストとして、不退転の決意でやっていくためだ、と言ってたから。

梨奈も頑張りなよ。

ところで、彫甲でも牡丹の名前でいくの?」 富夫が気になっている名前のことを訊いた。

「私としてもせっかくみんながつけてくれた牡丹でやりたかったんですが、彫甲さんのところでは“彫”がつく名前じゃないといけない、というんで、彫奈になりました」 「ほりな? どっかで聞いたことあるな」 以前、赤羽海岸で提案した本人の康志が言った。

「はい。

前にヤスさんが最初に提案してくれた名前です。

師匠も『彫梨奈。

りが重なって言いにくいから、彫奈はどうだ』とヤスさんと同じことを言ったので、つい笑っちゃいました。

師匠は元力士で、一門の彫り師には力士の四股名みたいな名前をつけるそうで、私も最初、彫雅と言われました」 「お相撲さんの名前を取って彫ミヤビはちょっとダサいね。

でもヤスさんが言ってくれた名前になって、まあよかったじゃない。

みんなで決めた牡丹がだめだったのは残念だけど」 七海は牡丹という名前を使えなかったことを、未練がましく言った。

「彫甲さんは元力士か。

僕も高校時代、みんなと出会う前に、部活でちょっと相撲と柔道をやったことあるけど、師匠がプロの力士だと、おっかなそうだね。

相撲部屋って、ものすごく厳しいから」 「はい。

上下の序列が厳しく、師匠には絶対服従だそうです」 それから梨奈はみんなに彫光喜のことを話した。

「そうか。

梨奈にも彼氏ができそうなのか。

よかったな。

彫り師の彼氏なら、ぴったしじゃん」 発言した康志を始め、みんなはいつも梨奈だけがカップルではないことを気にしていた。

「でも、弟子同士の恋愛は厳禁で、もしそれがばれたら、罰金50万円だとか。

光喜さんも私の気持ちは察してくれてますが」 「ひでぇな。

恋愛は各人の自由だがや。

そこまで弟子を縛るんか。

彫甲ってやつ、最低だな。

俺もとんでもないやつを紹介してまったな」 ファミレスでの話は10時ごろまで続いた。

髪を剃られ、入れ墨まで彫られたというので、さぞや落ち込んでいるだろうと心配していた梨奈が、思ったより元気そうだったので、みんなは安心した。

「頑張りゃーよ、彫奈。

どうせなら日本一、いや、世界一の女性彫り師になってくれよな。

俺たちみんな、応援してるから」 政夫が応援の言葉で締めくくった。

翌日は道場に出勤だ。

また頭に、牡丹の続きを彫られた。

髪が少し伸びてきたので、最初に使い捨てカミソリで、今日色を入れる予定の部分が、きれいに剃り上げられた。

最初の客は午後二時の予約なので、三時間ほど、頭の右と左の側面の牡丹に色づけされた。

右は青、左はピンクだ。

今日は彫青龍にも予約が入っており、梨奈は彫大海の指導で、彫甲流の波や雲などの描き方の勉強をした。

横柄な教え方をする彫青龍とは違い、彫大海は親切だった。

彫光喜も復習という意味もあり、梨奈と一緒に彫大海の講義を聴いていた。

彫大海はときどき彫光喜に、「ここはこうだよな」とか、「光喜はどう思う?」などと問いかけながら、話を進めた。

彫青龍ほど自信がない、ということかもしれないが、光喜の同意を得ながら講義する大海のほうが、一方的な青龍より親しみが持てた。

見切りや額の描き方、波や水しぶき、雲などは和彫り独特のもので、これまで梨奈は他人の作品で和彫りを見たことがあるとはいえ、その規則性などを考えたことがなかった。

実際自分で描いてみると、なかなかうまくいかない。

額や見切りは、和彫りとして共通の規則はあるものの、一門、流派によってもかなり違っている。

外国人のアーティストが和彫りを真似て、絵柄の周りを黒く染めたりすることもあるが、やはり和彫りの約束事を無視したものが多い。

よくいえばユニークだが、和彫り独特の美しさというものはない。

梨奈は一昨日、彫青龍から和彫りの法則性を学んで以来、和彫りの奥深さに惹かれ始めた。

もちろんコージやジュンたちが主に手がけている洋彫りも決して侮るわけにはいかない。

絵は洋彫りのほうがはるかに精緻なものが要求されることもある。

奥深さは洋彫りだって負けてはいない。

彫甲は和彫りこそが入れ墨の本道であり、タトゥーなどは邪道だ、落書きにすぎないといって見下している。

しかしいくら師匠の言葉でも、梨奈はそれには同意できない。

そういう彫甲も、客の依頼があればアメリカンタトゥーを引き受けている。

今彫青龍が客に彫っている図柄も、ブラックアンドグレイの、精緻なスカルだ。

リアルさでは和彫りのどくろの比ではない。

和彫り、洋彫りはそれぞれに良さがあり、その求めている方向性が違う。

優劣をつけること自体、意味がないことなのだ。

梨奈は和彫りも洋彫りも、どちらも大切にしたいと思う。

絵柄は違っても、客の肌を一生飾る、大切なものには変わりない。

梨奈は依頼された絵を、心をこめて一生懸命、それこそ全身全霊で彫ってあげるのだ。

タトゥーは人によって、いろいろな意味がある。

ファッションとして、おしゃれとして彫る人もいる。

お守りとして彫ったり、何かの記念として入れたりもする。

大切な決意をこめて彫ることだってある。

脅しの道具として彫るのは、言語道断だ。

タトゥーは単なるファッションではない。

また、彫り師にとっては、決して金儲けだけのためのものではないのだ。

午後四時を回ったので、彫光喜と梨奈は夕食の準備を始めた。

今日の夕飯は豚肉の生姜焼きと野菜サラダ、そして味噌汁だ。

関東出身で、長く九州にいた彫甲は、赤だし味噌が好きではないので、味噌は米味噌などを使う。

名古屋の家庭でよく飲まれている赤だしでないのが、梨奈には残念だった。

食事の準備のときは、彫光喜と二人だけになれるので、梨奈は彼にいろいろ話しかけた。

光喜も梨奈のことはまんざらでもないようだ。

そのことが感じられ、梨奈は嬉しかった。

梨奈はいつも彫光喜からもらったバンダナを頭に巻いている。

今は頭に牡丹を彫っているので、頭に巻くと、ワセリンや、インクの色が混じった滲出液でバンダナが汚れてしまう。

梨奈は家に帰るとすぐバンダナを洗い、部屋に干しておく。

立春を過ぎたばかりの今は、一年でも最も寒い時季で、一晩では乾かないので、翌朝、生乾きのバンダナに丁寧にアイロンをかける。

たかがバンダナ一枚だが、梨奈にとっては大切な宝物だった。

土日、祝日は客が多いので、道場は午前一〇時オープンだ。

だから門下生は朝八時までに道場に来なければならない。

梨奈は朝六時に起床して、急いで支度をした。

道場に着くとすぐ、梨奈は頭の牡丹に色づけをされた。

今度は前面に、紫の色を入れた。

朝早くから頭に彫られるのは少し辛かった。

彫甲にとっては仕事前のウォーミングアップだ。

その時間、彫光喜は彫大海の右脚にカエルを彫るよう命じられた。

光喜にとっては、久しぶりの実習だった。

光喜は仕事場で彫ることが許されず、二階のいつも絵の勉強をしている部屋で実習をした。

開店の準備は彫青龍に任された。

梨奈の頭に色を入れながら、彫甲は「彫奈、おまえは以前、けっこう彫っていたようだが、ワンポイントを希望する女の客が来たら、彫ってみてくれ。

一度おまえが彫ったものを見てみたいからな」と話しかけた。

「私が彫っていいんですか?」 「当たり前だ。

俺が募集したのは、弟子ではなく、即戦力の女彫り師だからな。

和彫りに関してはおまえはまだ経験がないから、もっと勉強してもらわねばならんが、洋彫りなら一度彫ってみろ。

青龍はもうある程度は任せられるようになったし、大海もけっこううまくなった。

あとはおまえと光喜だな」 彫甲に彫ってよいと言われ、梨奈は嬉しかった。

ピオニーや自宅で彫っていたときとはまた緊張感が違うだろうが、早く彫ってみたかった。

たとえ料金の六割とはいえ、収入が得られるのはありがたい。

頭の牡丹の施術が終わり、二階に上がったら、彫光喜も彫り終えたところだった。

彫大海の右脚ふくらはぎのあたりに、かわいいカエルが彫られていた。

大海の脚も、梨奈と同じように、練習で彫られた入れ墨でいっぱいだ。

背中には彫甲の作品である、『鬼若丸の鯉退治』が入っている。

「光喜さん、すごいじゃないですか。

とてもいいと思いますよ」 梨奈はお世辞ではなく、本心から言った。

梨奈は蜘蛛以外にも、は虫類や両生類が苦手だが、カメとカエルはそれほど嫌いではない。

「いや、俺なんかまだまだですよ」 「そんなことはない。

光喜はうまくなった。

お客さんに彫ってもいいと許可が出るように、頑張れよ」 彫大海は弟弟子を励ました。

彫大海と彫光喜は一階に下り、師匠にさっき彫ったカエルの入れ墨を見せた。

「うむ。

まだ正規の料金をもらって彫る、というほどではないが、けっこうよくなってきたな。

もし金がないから安く彫ってほしい、というやつが来たら、おまえが彫ってみろ」 そう言ってから、彫甲は直すべきところをアドバイスした。

それを聞いていた梨奈は、彫光喜も彫ることができそうなので、よかったと思った。

彫甲の道場には、口コミで弟子の練習台としてなら格安で彫ってくれるということを聞き、たまに安く彫ってほしいと依頼してくる客がいる。

さっそく朝一番の客が来た。

彫光喜と梨奈は二階へ行って、針を作るように命じられた。

一〇時から彫甲と彫青龍に予約が入っている。

彫大海も夜に一人彫ることになっている。

針作りの前に、コーヒータイムにして、おやつを食べた。

梨奈は針作りに少し慣れてきた。

初めて作ったときには、はんだごてすら扱えなかった。

針作り用の器具を使うとき、針先を潰してしまい、使い物にならなくしたりした。

しかし彫光喜の親切な指導により、だんだんと要領を飲み込めてきた。

梨奈は以前、自分で彫っているときは、滅菌済みのニードルを一本あたり100円前後で買っていた。

最初は滅菌していない安い中国製の針を購入していたが、インターネットでいろいろ調べているうちに、滅菌済みの針を見つけ、そこで購入していた。

しかし、針を自作すれば、ずっと安い。

洗浄や滅菌などややめんどうとはいえ、経費を削減することができる。

まだ針先を潰したり、不揃いになるなど失敗することもあり、歩留まりがわるいが、慣れればもっとうまく作れるようになるだろう。

針を取り付けるバーは、繰り返し使用が可能だ。

針の部分のみ、使い捨てにする。

一時間ほど針作りをして、それから二人は昼食の支度にかかった。

午後からまた針を作るので、器具などはそのままにしておいた。

昼食後、梨奈は彫甲に下に来るように呼ばれた。

応接セットのところに行くと、彫甲は梨奈にマシンを渡した。

アメリカのS社のマグネットタイプのマシンが二種類とロータリーマシンが一つ、小型のパワーユニット、フットスイッチ、インクなどだ。

様々な種類の針に合わせたチューブもいくつか付いている。

「これは彫奈専用に貸し出しするからな。

使い方はわかるか?」 「はい。

私が使ってたのとは、メーカーが違いますが、わかります。

ありがとうございます」 「別のチューブやグリップなどが欲しかったら、あとは自分で買えよ。

大事にしろ。

針は自分で作れ」 マシンを渡され、梨奈は嬉しかった。

「そうだな。

客に彫る前に、おまえの作品を見てみたい。

光喜に何か彫ってみろ」 彫甲は彫光喜を呼んだ。

彫光喜は背中に騎龍観音の筋彫りが入っている。

彫甲のところに弟子入りしてから、「おまえも彫り師らしい入れ墨を背負え」と彫甲が彫ったものだ。

しかし腕や脚は、自分で練習で彫ったところ以外は、まだ白いままだ。

彫甲は彫光喜の左の二の腕に、菊の花を彫るように命じた。

菊の図柄や色は二人で相談して決めろ、と指示した。

梨奈の絵の特徴を見るため、彫甲が描いた和彫りふうの図柄はいっさい使わず、オリジナルの絵をデザインするように指図した。

梨奈と彫光喜は図柄について話し合った。

梨奈がこれまで描きためたデザイン集を光喜に見せた。

「これ、全部彫奈が描いたの? すごいね」 フラッシュを見て、彫光喜は感心した。

光喜は菊の花がまとめてある部分を開いた。

これまで、直美や佳枝など四人に菊を彫っているので、菊の花もたくさん見本を描いている。

「この菊、いいですね」 いくつかの見本の絵から、彫光喜は一つを選んだ。

彫光喜が選んだ菊は、花が大きく開いた、華麗な菊だった。

色は青系統。

梨奈は見本の絵から変更したい部分があるかを尋ねた。

「そうですね。

せっかく練習するんだから、本番を想定して、いろいろ注文しましょうか」 彫光喜は選んだ図柄に、さらにこうしてほしいと希望した。

そして梨奈と二人で菊の絵を描いた。

「いやあ、いい絵ができましたね。

彫奈にこれを彫ってもらえるなんて、嬉しいですよ」 彫光喜に嬉しいと言ってもらえ、梨奈は天にも昇るような気持ちだった。

しかしその気持ちを正直に表すことができないのが辛かった。

梨奈はさっそく絵をトレースして、転写シートを作成した。

そしてそれを彫光喜の左の二の腕に転写した。

葉を含め、手のひらから指先ぐらいまでのサイズの菊の花だ。

転写したあと、梨奈はさっきもらったばかりのマシンのチューブや、自分で作った針を洗った。

洗浄には希釈した塩素系消毒液を使う。

チューブ先端の細いノズルの部分は、歯間歯ブラシで丹念に洗った。

「塩素系漂白剤は金属を錆びさせるので、よく水で洗ってくださいね」と彫光喜が注意した。

そのあと、オートクレーブで滅菌する。

彫甲の道場で使うオートクレーブは、ピオニーで使っているようなフルオートではないので、滅菌と乾燥はそれぞれ別にやらなければならない。

梨奈はオートクレーブの使い方を彫光喜に教えてもらった。

「師匠や青龍さんたちは、毎朝その日に使う予定の針やチューブは、薄めたヒビテン液や塩化ベンザルコニウム液に浸しておくそうですよ」 「そうなんですか。

衛生面もしっかりしてるんですね。

私が勤務していたピオニーでも、直前までヒビテン液などに浸すということはしていませんでした」 ピオニーでは滅菌済みのニードルなどは客の目の前で開封するため、その必要はない。

オートクレーブを使う場合は、施術の直前に滅菌する。

しかし梨奈はあえて彫甲の衛生管理を強調した。

器材の滅菌が済み、いよいよ施術となる。

二階にはエステベッドなどはないので、座椅子にバスタオルを掛け、代用した。

「光喜さんに彫るだなんて、胸がどきどきします。

どうぞよろしくお願いします」 「俺こそよろしくお願いします。

彫奈に彫ってもらえるなんて、最高に嬉しいですよ」 実際梨奈の胸は緊張でどきどき高鳴っていた。

これまで何十人と施術しており、もうすっかり慣れているはずなのに。

相手が彫光喜だからだ、ということを梨奈ははっきりと意識していた。

梨奈は緊張しながらも、しっかりと心をこめて施術をした。

彫光喜は梨奈の的確な針さばきに感心した。

ラインが完成し、少し休憩をした。

「彫奈のライン、すごくいいですよ。

ラインの精確さ、きれいさでは青龍さん以上です。

繊細だけど、全くぶれやかすれがない、きれいな線だ。

師匠とは太さなどが違うので、比較はできないけど、うまいですよ。

さすがここに来る前に、プロとしてやってただけありますね」 梨奈が彫ったラインを見て、彫光喜は感心した。

光喜の賞賛の言葉に、梨奈は恥じらいながらも、素直に喜んだ。

「だけど、青龍さんには嫉妬されそうだから、気をつけてくださいね。

大海さんなら素直に褒めてくれるけど、青龍さんはそんな陰険なところがありますから」 彫光喜は声を潜めて付け加えた。

気をつけろと言われても、梨奈にはどうしたらいいのかわからない。

10分ほどの休憩をはさんで、色づけを始めた。

まず葉の部分に緑、黄緑、黄色の順で色をつけていった。

途中から彫大海も二階に来て、梨奈の施術を見学した。

菊の花びらには青、水色、白とグラデーションをつけた。

しべの部分も黄、山吹、オレンジなど微妙に濃度を変えた。

非常に美しい仕上がりだった。

「これが彫奈の入れ墨、いやタトゥーというべきかな。

うちの流儀ではとても彫れない、見事な菊だよ。

ありがとう」 彫光喜は最大限の賛辞を梨奈に贈った。

和彫りとしての様式美を追究する彫甲の流儀とは作風が違う。

どちらかといえば、梨奈の作品は、コージやジュンの系統といえた。

「私こそ長いこと彫らせてくれてありがとうございました」 梨奈も彫光喜に礼を言った。

今日はデジタルカメラを持ってきていないので、携帯電話のカメラで写真を撮った。

「またきれいに治ったらデジカメで写させてくださいね」と梨奈は依頼した。

彫大海も梨奈の作品を絶賛した。

「さっそく師匠に見せに行きましょうか」と彫光喜が梨奈を誘った。

「師匠は今お客さんに彫っているから、あとにしたほうがいいぞ。

お客さんもこっち系の人みたいだし」 彫大海は自分の右頬に、指で×印を描いた。

「それよりそろそろめしの準備にかかろまい。

彫奈が彫っていて遅くなってしまったから、俺もめし作り、手伝ってやるよ」 彫大海は夕食の準備を促した。

梨奈が彫ったところにワセリンを塗り、ラップで覆って、後処理をしているとき、自分の仕事を終えた兄弟子の彫青龍が上がってきた。

彼はさっきまで、男性客の左腕に龍を彫っていた。

「彫奈、できたか」 彫青龍は梨奈に尋ねた。

梨奈はせっかく貼ったラップをはがして、作品を彫青龍に見せた。

そのとき、彼は露骨にいやな顔をした。

「おい、彫奈。

彫りができたら、何で真っ先に師匠に見せんのだ。

そんなラップを貼ったら、よく見えんだろう。

光喜も光喜だ。

なぜすぐに師匠に見せに行こうと注意せんのだ」 彫青龍は梨奈と彫光喜を怒鳴りつけた。

彫青龍の剣幕に梨奈は驚いて、何も言えなかった。

彫光喜はすぐに「すみません」と謝った。

「違うよ、青龍さん。

光喜はすぐ見せに行こうと言ったのに、俺が師匠はまだ仕事中だからあとにしろ、と言ったんです」 彫大海が代わって弁解してくれた。

「バカ野郎!!」 彫青龍は光喜と大海の顔を平手で打った。

「本来なら彫奈、おまえも殴ってやるところだが、女だから勘弁してやる。

すぐ師匠のところに見せに行け」 梨奈は彫青龍の理不尽な暴力に怯えた。

そしてすぐに彫光喜と共に師匠のところに行った。

彫甲は作業の手を休めて、応接室に二人を呼んだ。

「ふむ。

きれいにできているな。

これならワンポイントを希望する女性客を任せることができる。

ただ、しょせんタトゥーというものは入れ墨ではなく、落書きというんだ。

よく覚えとけよ。

まあ、確かにこういう落書きを彫りたいという連中も多いから、うちではタトゥーも扱うがな。

だが彫奈には本格的な和彫りを勉強してもらいたいから、しっかり頑張ってくれ。

光喜も後輩の彫奈に負けんようにしろ」 彫甲は褒めているのか、けなしているのかわからないような言い方をした。

そしてまた作業に戻っていった。

「ああ言ってましたが、師匠は彫奈の腕を認めていますよ。

これから彫奈もお客さんに彫らせてもらえますよ」 仕事場からマシンの音が聞こえてから、彫光喜は小声で言った。

「でも、いきなりびんただなんて、青龍さんもひどいですね。

大丈夫ですか?」 そのことを思い出すと、梨奈はまた震えた。

そして怒りがこみ上げた。

「青龍さんも加減して叩いたんで、たいしたことないですよ。

それより彫奈、気づいている? 青龍さんが彫奈が彫った菊を見たときの目」 「はい。

何ともいえず、背筋がぞっとしました。

怖いというか……」 「彫奈の作品が自分よりうまいということに気づいたんで、妬んだんだと思いますよ。

たぶんこれから何かちょっとしたことをあげつらって、彫奈を蹴落とそうとするかもしれないから、気をつけてくださいね」 彫光喜はそっと耳打ちをした。

「でも、和彫りに関しては、私は青龍さんの足元にも及びませんわ。

さっきもお客さんの腕に龍を彫ってたんですね」 梨奈はひとまず謙遜した。

それでもとんでもない先輩がいるんだな、と覚悟した。

光喜さんと大海さんはいい人なんだけど。

それから二人は夕食作りを急いだ。

二人が彫甲に作品を見せに行っている間に、彫大海は米をとぎ、炊飯器で炊くばかりにしておいてくれた。

彫大海がちょっと場を離れたとき、彫光喜が「これからは俺たち、あまり接近すると、青龍さんにチクられるかもしれないから、要注意ですよ。

師匠なら本気で50万払えと言いそうだから。

俺が入門する前、二人の弟子がヒゲメガのいじめに耐えられず、辞めていったそうです」と注意を促した。

そのとき、梨奈は彫光喜も自分のことを思ってくれているのだ、と確信できた。

始業前に頭の牡丹や蝶に色をつけられ、梨奈の頭の入れ墨は完成した。

牡丹などの周りは、和彫りふうに黒く染められた。

額にはみ出た部分が余計に目立ってしまい、梨奈は泣きたい思いだった。

髪が伸びても、前髪で隠せるか不安だった。

プライベートで外出するときは借りたかつらをかぶっているが、うまく隠さないと見えてしまう。

それでも頭の入れ墨が完成して、梨奈はほっとした。

毎日のように頭に針を刺されるのが辛かった。

それに眠るときが大変だった。

枕はインクが混じった滲出液で染まってしまった。

枕カバーを洗濯しても、インクは落ちない。

彫光喜にもらったバンダナも汚れた。

傷が治ったら、光喜は新しいバンダナをプレゼントしてくれた。

頭の牡丹などが完成してから、久しぶりに七海と政夫に会った。

彫甲入れ墨道場が休みの木曜日の夜だった。

この日の午後、梨奈は彫光喜と瀬戸市の定光寺方面を歩いた。

光喜と休みの日に外で会ったのは初めてだった。

定光寺は小学生のころ、遠足で行って以来、10年ぶりだ。

交際が師匠にばれると大変なことになるので、待ち合わせは互いの家から離れた、JR中央本線の高蔵寺駅にした。

梨奈はJRを使い、彫光喜はR2で高蔵寺駅の南口に迎えに来た。

今日は二人とも、セーターにジーンズ、フリースのジャケットなど、カジュアルな服装だ。

彫光喜がかつらをかぶった梨奈を見たのは初めてだった。

プライベートで外出するときはかつらを着用していることを聞いてはいたが、道場に来るときは大きな帽子をかぶり、かつらを持参していない。

間もなく注文したかつらができるころだ。

「彫奈、やっぱりそのほうがいいよ。

髪がある彫奈を見たのは、初めて道場に来たとき以来だね」 「あのときはいきなり丸坊主にされて、その上私が大嫌いな蜘蛛を彫られそうになって、びっくりしちゃいました」 梨奈はもうそのころのことを笑い話にできるだけの心の余裕を持っていた。

「俺も近くで話聞いていて、師匠もめちゃくちゃだと思いましたよ。

でも彫奈、よくそれに耐えることができたね」 「光喜さんと一緒にやりたかったから」 梨奈ははにかんで下を向いた。

「今日はプライベートだから、お互い本名でいきましょう。

弟子同士という立場ではいやだから」 彫光喜の提案に、梨奈は嬉しく思った。

二人は定光寺に走り、公園の駐車場にクルマを駐めた。

よく晴れてはいたが、散策には寒い一日だった。

それでも梨奈は彫光喜と一緒に歩くだけで楽しかった。

定光寺は紅葉の名所だが、真冬の今はこれといって見るものがない。

しかし愛知高原国定公園の一角を占めるその辺り一帯は、ハイキングにはいいところだ。

日陰の森の中には、最近降った雪が少し残っていた。

しかし寒い中にも、わずかに春の息吹が感じられてくる。

シーズンオフの平日なので、公園の売店は閉まっていた。

道場からなるべく離れたところで会いたかったので、夜、政夫と七海には高蔵寺駅近くのファミレスに来てもらった。

彫光喜もバイクギャングロッカーズのメンバーに会いたがった。

彼もロックが好きで、一昨年の大名古屋タトゥー大会に参加し、バイクギャングロッカーズのライブを聴いていた。

そのとき、会場で気づかぬうちに、梨奈や七海と何度もすれ違っていた。

彫光喜に会った政夫と七海は、互いに自己紹介をした。

彫光喜は本名で小野田伸吾と名乗った。

「本当はバイクギャングの仲間全員に伸吾さんのこと紹介したかったんですが、今日は平日で、みんな仕事がありますから。

土日は私たちが道場に行かないといけないし」 「小野田さんだったかな。

梨奈からは話を聞いてますよ。

梨奈も彫甲さんとこではけっこう辛い目に遭ってるみたいだけど、小野田さんがいるから、辛抱できると言ってます。

これからも梨奈のこと、よろしく頼みます。

梨奈は俺たちにとって、大事な仲間ですから」 政夫は一歳年上の彫光喜に対し、丁寧な話し方をした。

「梨奈も道場に来ていきなり丸刈りにされ、その上入れ墨まで彫られちゃって、俺もどうなるかと思ってましたよ。

ほんとにうちの師匠はやることがめちゃくちゃなんだから。

でも、梨奈、すごく頑張っているので、俺もやり甲斐があります。

梨奈は絶対素晴らしい彫り師になれますよ」 そう言いながら、彫光喜は梨奈が彫った左腕の菊を見せた。

「これ、ほんとにすごいと思いますよ。

俺はもちろん、二人の兄弟子よりずっとうまいですから。

師匠はそんなもん落書きだ、なんて言いますが、梨奈の腕は認めています」 政夫と七海は梨奈の新しい作品に目を見張った。

その夜は二時間程度の短い会合だったが、梨奈には楽しいひとときだった。

政夫は彫光喜に、バイクギャングが出したCDを二枚渡した。

そのうちの一枚は、梨奈のタトゥーがジャケットを飾っている。

ロックが好きな彫光喜は、ぜひバイクギャングのメンバー全員に会いたいと希望した。

政夫もそのうち時間を作ってみんなと一緒に会おうな、と約束した。

ただ梨奈と彫光喜の交際が彫甲に知れると、50万円のペナルティーということが気がかりだった。

帰りは彫光喜ではなく、政夫のデミオでアパートまで送ってもらった。

外で彫光喜と会っていたことが彫甲に知られる危険性を回避するためであった。

「伸吾さん、さわやかで感じのいい人ね。

梨奈、いい人が見つかってよかったじゃない」 帰りのクルマの中で、梨奈は政夫や七海から、彫光喜のことでさんざん冷やかされたのだった。

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