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武蔵梵天一門・厚木・彫浄

遅咲きの花という言葉がある。早咲きの天才に憧れを抱くと同時に、むしろこの言葉の方に共鳴するという人達が増えているという。
就職難や経済の停滞に喘ぐこの国に生きる人間にとって、所謂遅咲きと言われる人達の活躍には、まだ開花できていない自分の背中を押してもらえるような感覚もあるのだろうか。
37歳。青年期を30代前半までとった場合、35歳から49歳ころまでを「壮年」とすることになる。 働き盛りとして社会の中枢を担うようになり、ほとんどの場合において、この年代の時に従事している仕事に骨を埋めるケースが大半を占める。
そんな壮年期の入り口である37歳という年齢で、刺青の世界に飛び込んだ遅咲きの彫師がいる。
神奈川県の厚木にスタジオを構える武蔵梵天一門の彫浄がその人である。

如何にしてその年齢で彫師を志したのか、そして壮年期からの新しい道をどう歩んできたのか。
厚木の閑静な住宅街にある氏のスタジオで話を聞かせてもらうことが出来た。


 

まず彫浄としての活動が5年目に入りましたが、近況を聞かせて下さい。
「年は44ですが、この世界では5年目なんかまだまだ若手(笑)。近況って言ってもなぁ。とにかく精進しないとな、ってそれだけを考えてます。もっと絵を書く、もっと上手に書く、お客さんのイメージをもっと精密に具現化する。そんな毎日の繰り返しですかね。」

■お客様はどういった経路でこちらに来る事が多いですか?
「やっ ぱり僕の場合は口コミなんですよ。兄弟子(同一門彫禅氏)のホームページなんかを見ると、こういうホームページ持たなきゃなぁって思ったりするんですけど、本当に機械音痴で。一度ホームページ制作業者の方に話を聞いた事もあるんだけど、何を言ってるのかわからなかった(笑)。いずれどうにかしようとは 思ってるんですけど、今は幸い月の大半を予約で埋めていただいてるので、そんなに危機感を感じられていないというのが正直なところですかね。」


 

■こうしてアートワークを見ていると、やはり伝統和彫りのものがメインですが、その他のデザインを手がけることもありますか?
「もちろんありますよ。だけどやっぱり比率で言ったら和のテイストのものの方が全然多いです。ずっとそういう絵を描いてきているっていうのもあるし、約束事の ある伝統的なモチーフの中で、どれだけ自分の色を出せるかって言うのも魅力を感じます。昔トライバルを彫ったお客さんがやっぱり和彫りも入れたいんですって帰ってきたりもするし、外国に行っても人気のあるものですから、日本人ならなおさら引き寄せられるんでしょうね。」

■彫師を志したのが37歳の時と伺いましたが、それだけ聞くと唐突に感じてしまいます。どういった経緯だったのでしょうか?
「まず前提として、僕自身も若いころに刺青をいれているんですよ。だから突然興味を持った訳ではないんです。広島でずっと建築の仕事をしていたんですけど、 やっぱり鳶や大工は刺青が好きな人も多いし、仲間内にも刺青背負ってる奴等がいました。刺青関連の雑誌も買ってたりしたし、コンビニで実話誌の刺青特集の ページを立ち読みしてたり。まあ、刺青への興味に関しては、ある程度の距離は保ってたんじゃないかな。」

■何かきっかけになる事があったのですか?
「実はきっかけというきっかけはないんですよ。ただ、いい年してって思われるかもしれないけど、雇われて終わる人生よりも自分で何かをしたいっていう気持ちが ずっと根底にあって。今で言う脱サラじゃないけど、自分自身の何かを始めたかった。かっこよく言っちゃうと前を向いて死にたいってね(笑)。ただ脱サラし て事業を始める人達と僕の大きな違いはたいして貯金がなかったこと(笑)。その独立の方向が建築の親方じゃなくて彫師だったってことは、やっぱり刺青に対 する興味とか自分でも創作してみたいという気持ちが、初めて刺青を入れた時からくすぶっていたのかもしれないですね。」

■年齢をふまえた不安なんかはなかったですか?
「よく聞かれるんだけど不思議とそういうのはなかったです。自分の中で一度決めてしまうともうその方向しか見えなくなる性格なんで、(転職を)考え出してからしばらくすると、絶対彫師になる。俺ならなれる。って思いこんでいました。」

■上京から弟子入りまでの経緯はどのようなものだったのですか?

「当時読んでいた実話誌の刺青道場というのを見て今の先生に勝手に決めました(笑)。それから電話をかけてみて。とりあえず履歴書を持ってこいって言われたけど、もうその道で行くって決めてたから、履歴書どころか家も引き払って荷物まとめて上京しましたね。」

■上京、そして弟子入りしてからの事を聞かせて下さい。

「思いきりできたものの、僕の予想よりも厳しい世界ではありました。だけど少しずつ自分が成長していくのも楽しくて、引き返すことは考えたことないです。修業 中は先生が来る15分前にはスタジオへ着くようにしていたかな。もちろん体育会系で厳しかったっていうのもあるけど、掃除からはじまって、針つくったり墨 つくったり、絵を描いたりしてね。あとはお客さんの迷惑にならないように気をつけながら先生の仕事をよく見てました。」

■修業中大変だった事を教えて下さい。
「生活です(笑)。よく誤解されるんだけど、彫師の下積みっていうのは、ただ勉強していれば生活の面倒全てを師匠が見てくれるっていうものでもないんですよ。 飯は喰わせてもらえたってやっぱりそれ以外の銭は自分で作るものですからね。苦学生みたいな感じで、バイトしながら修行って感じです。 週三日間は大工、鳶等のバイトをこなした後にスタジオ、 残りの四日間は朝から晩までスタジオにこもってました。 だけどつらいとかそういう感じではないですよ。掃除するのだって絵を書くのだって全部結局は自分の為ですから。むしろ毎日自分が少しずつ上達していくことを感じられて本当に楽しかったです。」

■修業後半から独立初期の事を教えて下さい。
「もちろん自分の体にも針を突いたけど、修行から2年もすると、友人に彫ったりしてかなり実戦に近いことをし始めました。後、これは今でも変わらないんだけど下絵書き溜めたり、高名な人の作品を見て 勉強したりかな。スタジオの場所は本厚木に決めたんですけど、特にゆかりがあった土地って訳でもないんですよ。強いて言うなら、先生も小田急線沿いにスタ ジオがあるからそこは意識したかもしれないです。神奈川県の繁華街がある駅で探してて。飲み屋さんなんかも多いけど、一度も行ったことがなかったと思います。とにかく真面目にやっていればお客さんは来てくれると信じてここに決めました。」

■わからない土地での再出発には苦労もあったのではないでしょうか。
「フライヤーを作ったり色々やったけど、最初の1~2年はやっぱり口コミですよ。これも今も変わってないですね。もちろんきれいなホームページや雑誌でバリっと集客したりもいいなと思ったりはします。だけど、実際に僕の仕事ぶりを見てくれたお客さんが来ていただけると嬉しいですね。海が近いっていうのもあるんでしょうけど、『かっこいい刺青を入れている人がいて、どこで入れたんですかって聞いて来たんです』なんてお客さんが来るとやってて良かったと思いますよ。僕のスタジオにしてもそういう口コミで成り立っているので、真面目に精進を重ねたいと思っています。」

■作品に対するこだわりを聞かせて下さい。
「自分の絵を大事にしたいと思っています。流行りの作風に感化されるよりも、自分の色の中で、どれだけお客さんの頭の中のイメージを現実に出来るかって事を考えてます。お客さんとコミュニケーションがどれだけ取れるかで、仕上がりの満足する度合が大きく変わってくるものですから、下絵を見ていただいてこれでいいですかではなく、少しでもお客さんの求めているものに近づくようにすり合わせていく作業にも重点を置くようにしています。」

■最後にこれからの事を聞かせて下さい。

「テレビを付けていても、タトゥーを入れている芸能人やモデルをよく見かけるようにもなりましたし、刺青もどんどんメジャーなものになってきていると感じています。作品が脚光を浴びたりとかそういうショウビズ的な要素もシーンにとって大切なことだと思っています。だけど僕はそういう情勢の中にあっても真面目に真面目にというか、自分を信頼してくれるお客さんの為にも、よそ見をせずに進んでいきたいと思っています。結局ゴールなんてない世界ですから、僕に出来る 事は毎日絵を書いたり、毎日少しでも自分をステップアップさせたりとかそういうことだと思っています。その中で家族が困ることなく生活していけたらこんな幸せなことはないですね。37歳からの出発と、まわり道はしましたけれど、今では刺青、そして彫師という職は、僕の人生そのものでもあります。
少しかっこつけたような感じのこの言葉をもっと胸を張って言えるように、それを体現していけたらいいなと思っています。」


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